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書評(平成18年05月13日)

『青雲遥か—大内俊助の生涯—』
(佐藤雅美著・講談社)

 お気づきの方もあろうかと思いますが、佐藤雅美氏は私の大好きな作家(5本の指に入ります)の一人です。
 
 帯紙の紹介文には「全国六十余州から俊秀が集まる江戸の学問所。天保年間に仙台藩から出てきた大内俊助は十九歳。学問で身を立てるべく大志を抱く。だが、その前途には多難が待ちうけていた。江戸時代の若者の青春を描いた著者久々の長編小説。 」と書かれている。私は、今もって大内俊助が、実在した人物かどうかはわからない。モデルはいるかもしれないが、おそらく架空の人物だろう。

 青雲の志を抱いたことがある人には、大小の差こそあれ、主人公に自分の人生を重ね合わせて、自分も昔、同じような経験をしたなー、と思う人が多いのではなかろうか。勿論、非常に努力されて志願通りに進み、願いをほぼ叶えてしまった方も中にはいるかもしれないが、ほとんどの方は、何かしら挫折なり、紆余曲折して、志望通りの生き方とは違った生き方をしている人が多いのではなかろうか。

 私も、青雲の志を抱いたことがあるが、この主人公・大内俊助ほど秀才でもないので、諦めたのも早く(笑)、今では自営業のしがない職人である。著者の佐藤雅美氏も、(私から見れば作家として大いに成功した方だが)もしかしたら、志を曲げざるを得ない経験をされて、このような小説に託されたのかもしれない。

 主人公の大内俊助は、先輩格にあたる同じ学問所の仲間などとかかわるうちに、ズルズルと学業とは違う方向に引込まれる。ついには出来てしまった女との関係で、家から勘当され(つまり仙台藩士でもなくなり)、仕送りも止まり学問所を辞めざるを得なくなった。やむなく女と結婚し、女が経営する料理屋の包丁人となる。

 俊助は、学問所にやって来た日に関わった事件で、次郎助という岡引と親しくなっていた。次郎助は、そんな境遇になった俊助を誘い、水野越前守や鳥居耀蔵の策謀で囚われた高島四郎太夫を救うために、鳥居耀蔵の手下として暗躍した本庄茂平次を追う旅に出る。そして赤間関(下関)で彼を捕まえ江戸へ連行した後は、また包丁人として精を出していたが、今度は、昔の知る辺が色々世話してくれて、咸臨丸に火炊(かまたき)として乗ることになりアメリカに渡る。・・・・・

 またまた最後まで粗筋を書いてしまうところだった。大内俊助の人生は、波乱万丈といえば、その通りだが、佐藤氏が書いているためか、ちょっとその語感にピッタリしない。彼の得意な作風でもあるが、思うようにならない(そういう意味では波乱万丈の)人生の哀歓を、少しコメディックに描き、それでいて、読んだ後には、深い共感を味わう誠に趣きのある作品に仕上がっています。

 この主人公俊助のように「夢見る頃を過ぎて、青雲の志は今何処」、たいがいの人は時々こう思いつつ、結局は平凡な人生を送って死んでしまうのであろう。俊助の場合は、若い頃、学問に打ち込んだだけあって、市井に埋もれてしまいそうになる人生の途中で色々手を差し伸べてくれる人も多く、後半生はそれなりの生き方をしたように思う。私も、こういう人生もありかな、というかこういう人生なら悔いはないかな、と思う。

 この本の中でも2回出てくるが、もう歳だと、志を捨てそうになっていた俊助を、励ます咸臨丸の木村摂津守の言葉がいい。「学問は必然、人に考えさせます。学問をすればするほど人は考えます。若いうちにそういう訓練をするということはとても大切なことで、これはのちのち大いに役立ちます。つまり私がいいたいのは、あなたも考える訓練をした。そういう財産をもっておられるということです。それを生かさず、みすみす老いさらばえるのはもったいない。同門の誼み(※木村摂津守も学問所で学んだ)で申しますが、どうか財産を無駄にしないでください」

 歳をとって、若い頃抱いた志を捨てそうになっている人にとっても、これから学ぼうという人にとってもいい励ましの言葉ではないだろうか。私も勝海舟は嫌いだが、この人は昔から好きだった。・・・・・・・またまた脱線。変な方向に話が行きそうだ。

 歴史的有名人の伝記ではないが、こういう人生を生きることを考えてみるのも意義あることと思う。また人生は、生き方は青雲の志を抱いた頃と変わってきても、またそのために昔と志は異ならざるを得なくても、新たな志を抱いて死ぬまで夢を持って生きることが大切なのだと、改めて考えさせられた。本当に色々考えさせられる本である。勿論、私のお薦めの一冊です。  

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