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書評(平成18年05月28日)

『寝ぼけ署長』(山本周五郎著・新潮文庫)

  山本周五郎氏の作品は、この書評では、今まで全然採り上げてこなかったが、ここ数年あまり読んでいないだけで、実は以前はかなり読んでいた。私のランキングの中では、“泣かせてくれる作家”の中では、かなり上位にくる。
 山本氏の作品で、今まで私が読んだのは、ほとんど時代小説だった。今回は違う。時代は、1円が非常に高い価値を持っていた頃、昭和初期頃?だろうか、ある県庁所在地らしき地方都市の警察署長を主人公にした探偵小説である。

 署長の名前は、五道三省(ごどうさんしょう)という変わった名で、その町の署長として転任してきた頃は、40歳か41歳の男。5年間の在任中、署内でも官舎でも、ぐうぐう寝てばかりいるので、「寝ぼけ署長」と綽名がつくほどで、その上、お人よしで無能とまで当初は新聞などで酷評された。でもこの寝ぼけ先生、5年が過ぎ、いよいよ他県へ転任がきまると、別けれを惜しんで留任を求める声が市民から湧き起こり、デモ行進にまでいたる。
 それは、署長の別な側面というか真実の側面を住民が次第に知り、5年後にはそういう行動に走らせるまでになったことが、この小説の中の幾つかの事件を通して描かれる。

  この小説の中で、寝ぼけ先生は、実は、ものすごい読書家で、英語、独語、仏語三ヶ国語がやれる上に、漢文も読める。眠ってばかりいるのも、仕事が署へ来て、一時間もすると終わってしまうかららしいことがわかる。つまり無能どころか、能力がありすぎて、昼寝ばかりしていたということになる。寝ていると思っている時でも、寝た振りをして、他人の言動を聞き、観察するようなところもある怖い人間でもある。

 でも陰険という性格からは遠くかけ離れ、性格は、悪を憎んで人を憎まずを心情とする人物で、事件の解決も、非常に人情味あふれる解決をする。だから普通の探偵小説のような、証拠などから名推理で犯人を探し出すというスタイルとは違った探偵小説となっている。
 この小説は、彼がそのある町にいた五年間で起きた事件を、彼の秘書的な立場にあって、いつも傍に居た独身の警察官が、思い出して語るというったスタイルで進められます。

 小説の途中で、出てくる署長の言葉も、正義感や人間愛にあふれていて、非常にいいです。ちょっといくつか揚げてみましょう。

 「貧乏は哀しいものだ。・・・・・こんな時まず疑われるのは貧乏人だから、然し、貧乏はかれらひとりの罪じゃない、貧乏だということで、彼らが社会に負債(おいめ)を負う理由はないんだ。寧ろ社会のほうで彼らに負債を負うべきだ。・・・・・本当に貧しく、食うにも困るような生活をしている者は、決してこんな罪を犯しはしない、彼らにはそんな暇さえありはしないんだ、・・・・・犯罪は懶惰(らんだ)な環境から生れる、安逸から、狡猾から、無為徒食から、贅沢、虚栄から生れるんだ、決して貧乏から生れるもんじゃないだ、決して」
 上の文章を読むと、少しピンとこないというか、時代遅れの発言と思う方もいるかもしれない。最近は、生活が貧窮しても餓死するとか食えないという時代ではなくなりました。でも私は、やっぱり何も変わっていないと思う。貧乏といえる人が少なくなったかわりに、懶惰な環境で暮らす人々が非常に増えてしまったことだと思う。この言は、今もって真理ではなかろうか。

 他にも2,3.
 「不正を犯しながら法の裁きをまぬがれ、富み栄えているかに見える者も、必ずどこかで罰をうけるものだ、不正や悪は、それを為すことがすでにその人間にとって劫罰だ。」
 「法律の中で最も大きな欠点の一つは悪用を拒否する原則のないことだ、法律の知識の有る者は、知識の無い者を好むままに操作する、法治国だからどうのということを聞くが、人間がこういう言を口にするのは人情を踏みにじる時にきまっている、悪用だ、然も法律は彼に味方せざるを得ない。」 これは第5話の「眼の中の砂」というところに出てくる話だが、正義感に燃える署長は、法律を悪用する人間のやり方を逆手にとって、やり返したりもしている。何とも痛快な話も出てくる。
 とにかく、面白い。あなたも読んで見られてはいかが。

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