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書評(平成18年06月11日)

『ビジネス特急<こだま>を走らせた男たち 』
(福原俊一著・JTB)

 著者はエンジニアであるようだが、別に鉄道関係の人ではないようだ。国鉄〜JR電車発達史の研究をライフワークとする鉄道マニアらしい。それにしても凝りに凝っている。

 こういう本を読むのが好きな私だが、日本の鉄道の発達史には興味を持ってはいるが、「クハ」とか「ロハ」とか聞いても、鉄道関係の本を読まないと思い出さない程度の人間で、決して鉄道マニアとはいえるような人間ではない。
 でもこの本に登場した島安二郎・秀雄父子、後藤新一、星晃などの名前くらいは知っている。

 この本は普通の国鉄〜JR電車発達史とは違い新幹線にスポットを当てるのではなく、新幹線を築く前に、日本の鉄道開発の中でベル・エポックとなったのは、こだま型特急電車であるとの観点から書かれている。したがって、狭軌で世界に誇れる電車・こだま型特急電車の開発が実現され、はじめて新幹線の開発が可能となったとの考え方に立つ。

 著者の考え・主張が現れている文章を下に転載する。
 「鉄道とは「経験工学」の所産と言われる。一度空中に上がれば地上側システムとの接点が希薄な航空機や、テストコースで十二分な確認が出来る自動車とは異なり、鉄道は実際の営業上での実績、つまり経験を積み重ねて安全性や設計余裕などが確認できてからでないと、次のステップに進めない、という側面を併せ持っている。
 こだま形電車は従来の経験工学的手法をプラスして、電車列車の長距離運転と狭軌で最高速度110km/hを達成した。さらに従来の機関車牽引列車では不可能だった高速度運転や高効率運用を、いともあっさり実現して、電車の長距離運転に対する懸念を払拭した。<こだま>の実績と技術的蓄積があってこそ200km/hを超える高速電車開発のスタートラインに立つことが出来たのである。
 その成功「0」を「1」にした実績---は国鉄にシステム工学を実践するノウハウを確立させた。このノウハウに標準軌(新幹線の線路幅の広軌)のほか、交流電化・交流電気車両・ATCなどの要素技術を導入すれば、最高速度200km/hを超える東海道新幹線を実現する----「1」を「100」にする---技術的見通しが立つ。<こだま>の成功は、新幹線システムの基盤を確立したものである。」
 「日本の鉄道には電車列車などの動力分散方式が適している。」という、固い信念と確たるコンセプトを持った指導者がいた。鉄道に深い愛着を持ち、鉄道旅行の良さを知悉した設計者がいた。ビジネス特急の運転実現に向けて精魂傾けたシステム工学技術者がいた。戦後勃興した多くの新技術を具体化する研究者やメーカー・エンジニアがいた。そして「電車特急の成功は俺たちにかかっている」と高い使命感に燃えて保守に従事した現場職員がいた。
 こういった大勢の「裏方」に支えられ、豊かさと希望に満ちあふれる明日があった日本と国鉄のベル・エポック、昭和30年代という最高の晴れ舞台で、東海道の主役として活躍した「こだま形電車」は、我が国の鉄道史上間違いなく、最高峰に位置する名車なのである・・・・・。」

 私は、こういった文章を読み、思わず、眼のふちにジーンと熱いものがこみ上げてしまった。この人が書かなければ、こういう話は埋もれてしまったかもしれない。この本はあまり売れなかったかもしれないが、こういう本はやはり後世に是非とも遺していくべきだろう。

 私ほどこの本に感動しない人もいることでしょう。
 この本は、タイトルが『ビジネス特急<こだま>を走らせた男たち 』となっているが、特急こだまだけを取り扱っているのではない。こだま形電車列車の開発、誕生から、終焉まで描き、さらに新幹線へのバトンタッチがどのようになされたかも描かれているます。
 自分に直接関係ないとはいえ、知って骨折り損になる話ではないと思います。
 将来の日本を考える上でも、きっと参考になると思います。お薦めの一冊です。

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