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書評(平成18年06月14日)

『家康の置文 』(黒須紀一郎著・作品社)

  黒須氏の本を紹介するのは初めてかもしれない。しかし実は結構彼のファンである。役小角シリーズは、全て読んでいるし、『覇王不比人』、『婆娑羅太平記』なども読んでいる。
 また粗筋を、下に書く。

 徳川家康は、末子の頼房に、豪胆な資質を見出し、彼を水戸に封じた。その際、ある重大な使命を託した。また頼房は、嫡男頼重ではなく、三男の光圀に水戸藩を継がせ、光圀にも同様にその家康からの使命を伝えた。そのヒソヒソ話の口伝えの様は側で見ていても異様な感じであったという。

 藩主となった光圀は、ある頃より、彰考舘という施設を設けて、国史編纂を計画、全国から資料を集めてまわっていた。藩の石高27万石の約1/3の8万石もの膨大な資金を投入した。そのため藩政は領民に対して、苛斂誅求を極め、財政は逼迫していった。

 彰考舘館員を名乗る者達などが、下総や上総などで、旧家、古塚や神社などを調査・発掘など行っている噂を耳にした柳沢吉保は、そこに何か秘められた企みを感じ、鳥見や隠密同心と呼ばれる探索方を放ち、内偵を行う。次第に具体的な内容が明らかとなり、水戸藩が、南朝を正閏とする史料、壬申の乱の際の大友王子が、皇位を継承した事を類推できるような史料などを探していることがわかった。

 光圀は、南朝こそ正統で、北朝は閏とする説で国史を編纂しようとからの考えから、それを行っているらしいとわかる。幕府には、林大学頭が編纂した正史『本朝通鑑』がすでにある。 現皇室の光厳天皇につながる北朝の皇統を認める内容となっている。南朝を正統とする仮称「史記」(後の『大日本史』)の編纂に、幕府否定にもつながる企図に謀反の可能性を感じ、将軍綱吉と柳沢吉保は、さらに内偵を進めるのであった。

 一揆も起こりかねない無謀ともいえるような苛斂誅求を行ってまで、南朝正系を志向する修史事業に邁進する光圀の理由は何か。通説を覆す傾き者=光圀と仁愛の人=綱吉の宿命の対決。瞠目の歴史長編。

 かくて綱吉と光圀との総力をあげた確執が始まる。そしてこの水戸藩の国を挙げての国史編纂事業には、百年二百年先を見据えた、徳川幕府延命を図る、水戸藩主のみに伝えられた、家康による壮大な深謀が隠されていたのである。

 今回の作品も実に面白かった。最近『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだが(この書評でも採り上げた)、この本は、いってみれば『ダ・イエヤス・コード』(この場合のDAは、「DA PUMP」の場合と同じく、Theのくだけた言い方)とでも呼びたいような内容である。
 吉保は、彰考舘にお館員たちがとる不可解な行動から、光圀の真意を探ろうとする。彰考舘が行っている企図の方向性(南朝を正統とする)は次第に明らかになるが、しかしどうしてもわからない点が出てくる。何故藩が傾くほどのことをしてまで、その編纂事業を行う必要があるのか。吉保は、林家などを通して次第に、水戸藩に接触を図り真意を聞き出すが、どうしても光圀本人の考えがわからない。
 そして光圀と綱吉の直接対決となるが・・・・

 今まで私は、結構徳川光圀関係の本は読んできたつもりだ。勿論、彼が若い頃、傾(かぶ)き者で、乱暴者であったことも知っている。世継ぎを兄の子からもらった話も勿論知っている。他にも、彼が、日本で最初にラーメンを食べたとか、牛乳を飲んだとか、佐々介三郎に湊川神社を修築再建させた話も色々知っている。藤沢周平が書いた小説だったと思うが、あの国史編纂事業のため藩内が対立混乱した話も読んだことがある。でも黄門様が、これほど悪い施政を行っていた人物とは知らなかった。この小説のような家康の置文が本当にあったのかどうかは知らないが、この一冊で黄門様のイメージが全く変わってしまった。 逆に綱吉に対しては、「生類憐れみの令」の印象が強く、あまりいいイメージはもっていなかったが、なかなかの出来物であったのだなあと再認識した。

 私は今まで「大日本史」に関してはあまり興味がなかった。しかし、考えてみれば、あの書物は日本史の背景を底流のように流れ、人々を動かし歴史を動かしたものである。これを機会に一度、じっくりと調べてみようかと思ったりもした次第である。

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