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書評(平成18年06月16日)

『士魂商才—五代友厚 』
(佐江衆一著・新人物往来社)

  五代才助(後の友厚)に関しては、前から興味はあった。大阪株式取引所、大阪商法会議所などを創立し、「大阪の恩人」といわれる人物であるので、どのような財界人なのかなあと前から気になっていたのだ。
 この本は、七尾市本府中図書館から借りてきた本である。この図書館には彼を主人公とした本が2冊あった。もう一冊は阿部牧郎さんの『大阪をつくった男—五代友厚の生涯 』(文藝春秋)である。どちらにしようかと、迷ったが佐江衆一さんの方が親しみがあったので、こちらにした。

 簡単にその人生を紹介すると、
 長崎海軍伝習所の2期生として学び、その後、長崎で薩摩藩の艦船や武器を購入し、情報など収集する役を勤める、グラバーなどと知り合う。薩英戦争の際、避難していた薩摩の艦船の責任者として乗艦していたが、その船にイギリス軍に不意をつかれ乗り込まれてしまった。そこで彼はみずから捕虜になり、戦争回避の交渉にあたろうとするが、交戦となり失敗する。
 そして、藩内からも裏切者・卑怯者としてつけねらわれることになり、イギリス側にも助けてもらい逃走生活を送る。
 長崎のグラバー邸に匿われていたとき、有為な藩士の目を開かせる目的などもあって、薩摩藩英国留学生を国禁を犯して出すこととなり、才助が松木弘安(後に寺島宗則)とともに、彼らを率いて渡欧する。イギリスで出会ったベルギーの貴族・モンブラン公爵と意気投合し、ベルギーとの合弁会社設立や、パリ万国博覧会での独立国としての薩摩藩の出展を企画したりする。
 帰国後は、次第に藩中枢から遠ざけられていく。一時明治政府の官僚も勤め、造幣寮を造ることなどに奔走したりするが、明治維新後まもなく、官を辞し、大阪株式取引所や大阪商法会議所(後の大阪商工会議所)を創立し、遷都後衰退しつつあった大阪を建て直し、「大阪の恩人」といわれるようになる。
 薩摩藩士出身であり、明治維新の時期には大久保利通から大蔵卿へ就くよう要請されながら、それを断り、実業界に身を投じた男の波瀾に満ちた生涯を描いた小説です。

 ただし、私が知りたかった維新後の彼の活躍の話に関しては、少し触れた程度という感じで、ちょっと残念だった。その辺を知りたければ阿部牧郎さんの前述の本の方がいいのかもしれない。

 私は、彼は下の階層からコツコツとというか、徐々にのし上がってきた人物かと思っていたが、そのあたりは全然違っていた。この小説の当初から、彼は、ほぼ彼の宰領で巨額な藩費を使って仕事をしている。大きな仕事をした男だが、薩摩藩という後ろ盾がなければ、これだけの仕事が出来たかな、というのが、皮肉的かもしれないが、正直な感想である。
 逆にいうと、世の中、やはり大きい仕事をやる場合は、組織の中でいかに自分を活かしてもらうかが、大きな成否の鍵ということであろう。勿論、ほとんど独力で一歩一歩登りつめる人物もいるにはいるが、可能性は前者と比べると、百分の一もあるかないかだろう。
 また活躍できる時と場にいることも重要なことだと思う。最近、奥能登で珠洲市長選挙があって、私より1歳下の若い新人が当選した。珠洲市は、能登半島の先端で、ネックが大きく、振興しようにも八方塞がりという感じだ。新市長は早稲田大学政経学部出身の秀才のようだが、たとえ東京など大都市で活躍した超エリート、超優秀といわれたような人間が来ても、改革は難しいだろう。やはり様々な可能性がある都会の方が手腕を発揮しやすいであろう。(といってもやはり古い体質の学歴も大してなく視野の狭い人間より、泉谷新珠洲市長のような人物の方がふさわしいと思う。頑張ってほしいものである。)

 何かこのような感想を述べると、この本に批判的な印象を受けるかもしれないが、別にそういうつもりはない。なぜかしら上のようなとりとめも無い感想が浮かんだので、ただ素直に書いただけだ。
 この本はこの本として、つまり五代友厚の生き方は、それ自体やはり、とても真似できない偉業の多い素晴らしい人生である。参考にすべき点も多い。高杉晋作や、坂本竜馬、大久保利通などと同時代人で、彼らとの交友も、薩摩の変わりもんといわれた彼の心の支えとなったようである。それから、歴史小説ではあまり注目されない薩摩藩家老小松帯刀も、この本ではいい役廻りを演じており、、また新たな興味が沸いてきた。
 阿部牧郎さんの『大阪をつくった男—五代友厚の生涯 』(文藝春秋)も、そのうち読んでみたいと思っています。

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