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『 本朝奇談 天狗童子』 (佐藤さとる[著]・村上裕[画]・あかね書房) |
旧鹿島町(現中能登町)の図書館の児童向新刊書の棚に置かれていた本を見た瞬間、中身も確かめずに借りてきて読んだ。 別に佐藤さとる氏のファンではない。読むのは今回はじめてである。表紙の村上豊氏の絵が大好きで、彼の絵があるとどうもすぐ借りたくなるのだ。夢枕獏氏の陰陽師シリーズや、半村良氏、佐藤雅美氏、神坂次郎氏など時代小説ものの本などでよく表紙の絵や挿絵など手がける売れっ子である。 佐藤さとる氏は、略歴などみると、80歳までにあと数歳というご高齢の方で、童話・児童文学が主な方のようだが、この作品は大人でも十分満喫できる作品である。逆に、児童向けの棚にあったのが、不思議なくらいだ。中学生くらいなら読めるだろうが、小学生くらいだと果たしてこの小説を十分理解できるだろうかと思う。 ただし、タイトルの中の「本朝奇談」の箇所は、「にほんふしぎばなし」とルビ(振り仮名)をふってある。これは、やはり子供に意味が分かるようにした振り仮名であるから、やはり本人は児童文学で書いているのだろう。 ちょっと前段の粗筋を紹介。 話は今から500年ほど昔、16世紀初頭の関東が舞台の話。上州(今の群馬県)の否含山(いなふくみやま)の山番人をしていた与平が、ある夜住処の山小屋で篠笛を吹いて楽しんでいたら、相模の大山の大天狗の使いだという子供の天狗が現れた。大天狗様が、まもなくこちらに来るとの先触れであった。 まもなく大天狗が現れて、「たのみがある」という。いい笛の音色をできれば毎日のように聞きたいので、与平に天狗の仲間に入らないかというのだ。与平が、それをことわると、従者の先ほどの使いの天狗を置いていくから、笛が上手に吹けるようみっちりと仕込んでほしい、と頼まれ与平は引き受ける。 大天狗の従者を勤めていたその子供の天狗は名を九郎丸といったが、大天狗は、九郎丸に笛を与平から習うために与平のもとに留まるよう命じると、大天狗は、彼の喉元に手を回しどこかをひっつかんだと思ったら、カラスの羽根を一気にひん剥いた。するとそれはすぐ変化し、手の上でカラス蓑となっていた。これをかぶると、天狗の格好になるが、大天狗でないと剥がすことができないという。天狗にとっては大切な品なので、与平に預け、大事にするようことづけた。 九郎丸は、与平のもとで仕事を手伝ったり身の回りの世話などもしながら、笛を習うが、ある晩、二人で吹き合わせ(合奏)してみると、かなり上手くできた。天狗は子供を時々さらっては天狗にするという。九郎丸もおそらくもとは人間の子だと思っている与平は、九郎丸を天狗に戻れなくしようと思い、カラス蓑を火にくべるが・・・・・ 話は最初は、天狗が出てくるよくある御伽噺の感じだったが、大山の大天狗さまの天狗舘が出てくる後半あたりからは16世紀当時の関東の状況も、話に絡んでくる。というか、九郎丸とその弟分(というか妹分)の茶阿弥の出生とからんでいるのだ。伊勢宗瑞(新九郎→北条早雲)や、それと対立する三浦道寸、またその三浦氏の内紛、武田氏、公方職をめぐる足利氏の内紛など色々出てくる。 最後には、あの南総里見八犬伝で有名な里見氏まで登場し、ハッピーエンドに近い形で終わる。 背景となっている16世紀関東の歴史は、戦国時代といっても、日本史の中でもあまり馴染みの薄いものではないだろうか。私もあまり詳しくはない。そういう話が絡んでくるから、私には、ほんとに子供向けのファンタジーなんだろうかとちょっと疑問。大人の私くらいにちょうどいいようなファンタジーの気がする。もっとも最近は「指輪物語」や「ハリーポッター」など、かなり複雑な物語でも子供の間で流行しているようだから、私が子供のレベルを低く見すぎているのかもしれない。 とにかく面白い話であるのは保障する。表装も申し分ない。こういうと「あかね書房」さんには悪いが、もっと大手の出版社から出されて多くの人に楽しんでもらいたい本である。評判をよんで、将来大手出版社の文庫本にでもなって、もっと世の多くの人に読んでもらいたい。それだけの価値のある本だと思う。 |
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