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書評(平成18年07月04日)

『北風に起つ〜継体戦争と蘇我稲目〜』
(黒岩重吾著・中公文庫)

  継体天皇といえば、私が住む北陸出身の唯一の覇者というか王者ではなかろうか。彼は、生まれたのは近江かもしれないが、育ったのは福井県三国町の辺りらしい。越(北陸)や、近江、尾張、河内などに縁戚関係を通して支持勢力を持っていたようだ。北陸ゆかりの人物も、ほとんど覇者になったためしがない。新田義貞、柴田勝家、前田利家、松平春嶽など色々可能性のあった人物はいるが、第一の実力者になったものは誰もいない。

 日本の統治者となった北陸ゆかりの人物は、この継体天皇(この小説の中では男大迹王(おほどのきみ))が唯一であり、その後の天皇家は彼の血筋をつぐことを考えると、意義深い。
 天皇家は万世一系といわれるが、最近の考古学者は、ほぼ皆、この時期に王朝が交代したという考え方が有力である。たとえ少しそれ以前の王朝の血をひくにしても、また前王朝と濃い血縁関係のある者に婿入りしたにしろ、王朝交替の色合いようである。

 ただし、この小説は継体天皇のみを主人公とした小説ではない。副題にあるように、蘇我氏の繁栄の基礎を築いた蘇我稲目にも注目しており、どちらも主人公という感じ(どちらかというと、稲目の方に重点を置いているかも)の作品である。

 またこの小説は、黒岩重吾氏の創作がかなり入っており、史実にできるだけ忠実に書いた小説ではない。そもそもこの頃の古代史を題材にした小説は、謎が多く、「史実にできるだけ忠実」という言葉自体が、多用すると何か変な感じを受ける。古代史小説の大家といっても過言ではない故・黒岩氏は、この小説の中で自由自在に推理し、実在の人物のほか、架空の人物も色々と創作し、それぞれに魅力あるキャラクターとして描き、古代ロマンを展開している。

 彼の考えは、先日読んだ森浩一氏ともかなり違う面も多い。森氏の場合は、継体天皇が大王位を宣言した後、樟葉宮・筒城宮・弟国(乙訓)宮などと、なかなか大和に入らないで宮廷を何度か遷都した理由は、大和へ入る実力がまだ備わっていなかったからではなく、淀川や木津川といった流域が交通の要衝で、経済活動に便利だったこと。つまり都の立地について新しい感覚をもっていた国際人だったからと述べているが、黒岩氏の小説の中では、まだ大和の反発勢力を跳ね返す実力が弱く、機が熟するのを待って入ったような説になっている。

 どちらも、当時大王となる資格のある人物は、男大迹王しかいないと考えているようだが、森浩一氏は、越や近江、尾張、河内などに勢力を持ち、この実力は他に比肩できるものはなく、なおかつ国際感覚をもった知識人であったので、継体戦争も、ちょこっとやったという感じにしか書いていないが、黒岩氏はその大王位の宣言後、畿内の豪族に認めさせる苦労を小説にしたという感じだ。

 まあ古代史は、謎が多いから、色々読んで、自分の想像を自由に膨らませられるからいいのだと思う。皆さんも、色々な人の書いたものを読み、あれやこれや自説を唱えてみてはいかが。それには、この小説は一つのいい題材だと思いますよ。

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