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書評(平成18年07月22日)

『囚人道路』(安部譲二著・講談社)

   私は実は先週(これを書いている現在:2006年7月22日)、北海道へ旅行に行ってきた。その際、旭川から大雪山系の麓に向かう途中、日本一長い直線の国道という国道39号線を少し通ってきた。ガイドさんの話によると、この道は明治期に囚人によって作られたものであるということであった。途中、鎖塚というこの道路工事で亡くなった囚人の塚もあった。他にも多くの道などが囚人によって造られたらしい。
 
 この話がまだ薄れずに頭に残っていたせいか、先日、(七尾市立)田鶴浜図書館へ行った際、この本が目に留まってしまった。やはりあの道路の建設を題材にした小説らしい。またいつものように粗筋を書く。

 主人公は秋川鉄之介。旧御家人の次男だが、秩父困民党事件に加担して捕らえられ、明治23年の10月網走監獄に約200名の他の囚人らとともに送られてくる。
 政府は、翌年春から、網走に収監されている1000名の囚人を用いて、網走から旭川までの約180kmの道路建設をはじめる。道幅は当時としては広い三間、また道の両脇に幅三間の空き地を設けるという巨大道路で、その上、道はほとんど直線道路。山谷や森林があろうが切り開き、沼地や川があれば埋め立てたり橋をわたして、とにかく障害物を迂回せず真っ直ぐ伸ばすという計画だった。それを春から雪が降り積もる冬までの半年間ほどの間に造ろうというのだ。
 不要不急のはずの道路を、政府はなぜか、短期間で(通常の4倍の速さで)それも素人の囚人達によって、造らせようとするのか、鉄之介達は、疑問を抱きつつも苛酷な工事を続ける。
 完工後は、解き放たれて土地も若干与えると言われ、囚人達は、それを唯一の希望として、頑張る。

 この年は、北海道は天候不順の年ということもあって、珍しく長雨の年で、囚人達は、ぬかるみの中、疲労困憊する。途中、抜け出したり、反抗したりする者も出るが、抜け出した者も、ほぼ皆、途中羆(ひぐま)に襲われたり、行き倒れてしまう。反抗したものは、殺されてしまう。そしてお粗末な食餌のため水腫病によって、人々が病み、死にはじめる。
 多数で反抗したり、脱走を図る者も出てきたので、囚人達は工事の中盤頃から、手足に鎖をつけられ、足には4kg弱の鉄球をつけさせられ、工事を続けることになる。
 鉄之介は、工事が始まる前、監獄の看守によって痛めつけられていたアイヌ人を助けたことによって、彼から工事の間、食料をこっそりと届けられたりして何とか耐える。・・・・・

 とまあこのように話は展開していくのだが、この不可思議な難工事の目的は、日清戦争に関係した意外なものだった。それは工事期間中、伊藤博文だけが知り、工事完成後も彼を含めた4人だけが知ることだった。
 工事をやり遂げ、生き延びたはずの約700人はどこかに消え、解き放たれたはずの囚人は見当たらない。著者は、それを抹殺されたものとして、この謎を小説にしたらしい。主人公などはどうも架空の人物のようであり、話も彼の謎解きによる展開で小説化されたもののようだが、私もおそらくはこの小説の内容のような事があったのだろうと思う。つまり抹殺だ。
 それが(日清戦争の)戦後の日本を睨んだ実験と考えた著者の推理も、真相は今となってはもうわからないが、当たらずといえども遠からずのものではなかろうか、と私も思う。
 また鉄之助とアイヌの少女との間に愛も芽生えたり、最後は、ちょっとハッピーエンド的な終わり方で、色々な点で面白く仕上がった作品だと思う。皆さんにも、お薦めします。

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