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書評(平成18年07月31日)

『ガイドブック裁判員制度』
(河津 博史・鍛治 伸明・池永 知樹・宮村 啓太/法学書院)

   この本・『ガイドブック裁判員制度』(河津 博史・鍛治 伸明・池永 知樹・宮村 啓太/法学書院 ) は、新刊本のところに並んでいて、約三年後(2009年5月)にはじまる裁判員制度のことが書かれているようなので、興味が沸き、借りてきた。
 
 なかなか面白かった。3、4時間ほどで読めた。私は最近、また現代ものの推理小説を多く読むようになったが、裁判手続きや法律用語は、これらに欠かせない。テレビの刑事ドラマなどで、何となく知っているが、実のところ理解度はあやふやである。裁判員制度は新しい制度とはいえ、今ままでの刑事裁判に裁判員というものが加わったわけで、基本的な事項は変わらない。そういう意味でも非常に勉強になった。

 この本に関しては、いくらネタ(裁判員制度の内容)を明かしても、怒られることはないだろう。不正確さが問題となるだけだ。正確・簡潔に書くのは、難しいが一応、わかったことなどここに紹介する。

 裁判員は、陪審員とも少し違うらしい。アメリカ、イギリス、カナダ、ロシアなどの陪審制度は、無作為に選任される陪審員が、裁判官から独立して、有罪か、無罪か判断し、訴訟手続きに関与するが、有罪と決まった場合の刑罰の内容については関わらない。
 またフランス、イタリア、ドイツでなどは、参審制度では、任期制で選任される市民が、裁判官と共に、有罪か無罪かを評議し、有罪の場合はその刑罰まで決める制度らしい。
 日本の裁判制度は、参審制度と似ているが、選任される裁判員候補者が無作為に選ばれ、その候補者の中から実際の裁判において、裁判所で選定手続きが行われる点が違うようだ。
 
 裁判員制度のもとで、市民が参加するのは地方裁判所の刑事裁判のみとのこと。それも死刑または無期懲役もしくは禁固に当たる罪に関する事件、および短期1年以上の懲役もしくは禁固に当たる罪に関する事件のうち故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に関するものであるようだ。つまり具体的には殺人、強盗致死傷、傷害致死、危険運転致死、身代金目的誘拐、保護責任者遺棄致死、現住建造物放火など。

 裁判員候補者に選ばれると、その任期は一年間で、実際に裁判員になるかどうかは、上のような選定方法だから、裁判員にならずに任期が終わることも大いにあるようだ。
 裁判員になる資格は、20歳以上の選挙権を持つもの。ただし法曹関係の人間。国務大臣、国会議員、自衛隊員、官庁の高い役職についているもの、知事や市町村長は除外されるらしい。また禁固以上の罪に当たる刑につき起訴され、その判決が確定していないもの、逮捕または拘留されている人もダメ。

 この制度自体が、裁判制度の信頼回復にあるらしいから、国民が裁判員として、刑事訴訟の手続きに関与してもらうことによって、国民の理解の増進してもらい、同時に信頼も回復するのが目的のようだ。

 選任されても辞退できる場合は、70歳以上や、学生、重い病気や親族の介護をおこなっているとかなどの場合。仕事上忙しいというのは、基本的には認められないようだが、裁判員になることによって、重大な損害をうけることが予想されそうな場合は認められるようだ。
 
 裁判員の数は普通6人で、裁判官は3人(うち一人裁判長)。ただし公判前整理手続による争点及び証拠の整理の過程において、被告、弁護士、検察の3者の間で争点が無いと確認され、合議書面が作成されている場合は、裁判官1人、裁判員4名となるようだ。

 このような裁判員制度が出てきた背景には、日本の司法制度の一部の遅れた面の改善の要望があるようだ。裁判の国際的に確認されている原則には、有名な「疑わしきは、罰せず」「疑わしきは被告の利益に」のほかに、「検察官は、合理的な疑問を遺さない程度の証明が必要」などがある。しかし日本の裁判は、長い日数がかかる上に、証拠も、検察官や警察官が書いた供述調書など膨大な資料を裁判官が、裁判の中においてではなく、裁判の前に読み込むなど、証拠などの扱いに不透明な部分があったようだ。また供述調書が、被告が本当に言ったことかどうか、という点が争われたりして、更に長引くこともしばしばという、前近代的ともいえる裁判制度のようだ。

 裁判員制度では(というかもともと裁判制度の原則なのだが)、あくまで裁判の判断の材料は、裁判の中で提出された証拠ということになる(常識外でのマスコミなどの報道などは判断材料からはずす)。被告は、また裁判の中では、「罪を犯していない人」として扱われ、検察官が犯罪を行ったことを証明しない限り、有罪としてはならないとされる。また先にも述べたように、検察官が「合理的な疑問」を残さない程度の証明をしない限り、無罪なのだ。つまり偏見をもって裁判に当たってはダメだということであろう。有罪が明確になるまで無罪の人間として裁判を進める。被告と検察官は、裁判の中では対等なのだ。
 
 また裁判員制度による裁判の中では、今まで以上に、厳選された証拠が要求され、取調べの供述調書なども、被告の言い分を正しく反映しているか判断できるようにするために、今後は録音・録画が用いられる方向に進みそうだ。
 市民の判断が持ち込まれることによって、刑罰の重さなどは今までより市民に納得のいくものになるかもしれない。裁判員制度の導入により、重い刑が多くなる可能性もあるが、状況証拠的なものが有罪の犯罪材料としても決め手に欠くため、逆に今までより無罪が多くなる可能性もあるような気もした。

 肝心な事をもしかしたら書き忘れたかもしれないが、まあ大体このような事がわかった。
 裁判員裁判のシュミレーションなども掲載し、予想される具体的な裁判のイメージも描きやすくなっている。またこの本の後ろには、関連の法律なども掲載されていたが、それは読みやすい部分だけ読んだ。裁判の詳細な手続きはまだ決まっていないらしい。2009年5月までにその辺まで整備するのであろう。今後も注目していきたい。

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