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書評(平成18年08月12日)

聖護院の仇討 —足引き寺閻魔帳—』
(澤田ふじ子著・徳間書店)

 闇の仕事師たち、4人と一匹のプロフィールについては、前作の時にも書いているので、今回は特に書くことはしない。読んでいて爽快というか痛快な事件解決好きな澤田さんらしい作品である。
 男っぽい裁きの小説が多い澤田さんである。その上勧善懲悪ものが多い。でもただ単に勧善懲悪ものというのではなく、強気(権力などをもつ強い悪)をくじき弱気(まじめに地道に生きる弱い立場の者)を助けるという姿勢の見える小説が多い。その辺はやはり女性的な正義感が強くでているのだろう。
 先の第2弾の最後の話(「果ての空」)にも、京の町を焼き尽くした天明の大火が出て来たが、今回はそのため足引き寺こと、地蔵寺が焼け落ち、再建するところから始まる(第1話「土中の顔」)。京の街中が、その大火で人々が困難に陥っているのに、この状況に付け入り、人々を安い賃金でこき使う悪を行う者がいた。足引き寺の4人及び1匹は、その裏に潜む黒幕を調べ、天誅を加える。

 収められている話は「土中の顔」、「ふたり狼」、「陰の軍師」、「闇の坂」、「かねづる」、「聖護院の仇討」、「白狐の銭」の7話だが、私としては、「陰の軍師」と表題の「聖護院の仇討」が良かったと思う。

  ファンの方なら必読、そうでない方にもお薦めの本です。

嵐山殺景 —足引き寺閻魔帳—』
(澤田ふじ子著・徳間書店)

 収められている話は6つ。「白い牙」、「嵐山殺景」、「仲蔵の絵」、「色がらみ銭の匂い」、「盗みの穴」、「世間の河」。
 
 気に入った話を一つだけあげれば、最後の「世間の河」が私としては面白かった。この話の中では、殺したり、懲らしめるといった足引きの話は出てこない。父の仇を討つため旅に出た少年のお供をする主人公がひょうげていて、何かしら滑稽味があってよかった。弥七という名だが、捨て子であったのを先々代に拾われて、育てられた恩を忘れず、先代の仇討ちの旅にすすんで同行したのだった。京で路銀がなくなると、一行のために(まだ若い主の他にも一人先代の亡くなった妻の妹も一行の中にいる)、曲芸をしてその費用を稼ぎ、忠義を尽くす。それをみた蓮根左仲(足引き寺の一党、京都西町奉行所同心)は、彼に興味を持ちかかわりをもつ。・・・・・

 このシリーズは、足引き寺を扱っているということからして仕方ないのだが、妬(ねた)みものなど、人間の醜い様(この本でもたとえば妬みものの話は2件)を扱った話がよく出てくる。たまにはこういう好ましい人物の話もいいものだ。仇討ちを志を捨て、一行がそれぞれ新たな道を歩み出す話であるが、同じ仇討ちを諦める話を扱った「恩讐の彼方に」(菊池寛)と違って、何か微笑ましい印象を受けた。
 弥七には、今後また、同シリーズの他の話で再登場してほしいものである。 

悪の梯子 —足引き寺閻魔帳—』
(澤田ふじ子著・徳間書店)

  今回は幾つかの短編を収めた形ではなく、「鬼平犯科帳」などの言い方を用いれば、特別長編といった感じで、この本一冊で一つの事件の解決・仕置きを行うという内容になっている。
 しかも事件の主な舞台は、京都ではなく、岐阜町である。

 粗筋を少し書く。
 足引き寺の一党の一人・地蔵寺の宗徳が、浄土宗総本山知恩院に命じられて、無住寺となった岐阜の歓喜山・安楽寺に、留守居僧の住職として、しばらくいくよう命じられた。宗徳は、人間の言葉を解する飼犬の豪に対し、しばらく今日で留守をするように命じたが、豪は彼を慕い、彼の匂いをおってついに岐阜の寺までたどり着いてしまった。
 豪は岐阜へ向かう途中、茶店で食い逃げし街道人足から追われていた訳有の小僧・定助を助ける。定助は、京の茶道具屋「高瀬屋」で小僧として働いていたが、郷里岐阜の経師屋茜屋で職人として働いていた父親が辻斬りで殺されたのを知り、病気で臥せっている母親や幼い妹二人を帰って養わねばならないと思い、店がクビになるのを承知で飛び出してきたのであった。宗徳は、豪と一緒に安楽寺にやってきた定助の話を聞き、彼が奉公していた京のや、彼の父が奉公していた経師屋のその後の対応に不審を抱く。
 宗徳は、豪を使いとして京の地蔵寺まで奔らせた。京の高瀬屋を調べさせるよう京の仲間に依頼、その後も飛脚を何度も通せた。与惣次にも従僧として、岐阜に来てもらい宗徳を助ける。
 定助の父親を殺したと思われる剣客は、すぐに見当がつくが、その背後には何か良からぬ動きがあるように思え、京と岐阜の足引き寺のメンバーが連携して、二つの店の動きを探るのであった。・・・・・・

 澤田さんお得意の骨董や絵画、陶磁器などがからむ事件の話である。
 今回の話には、私が住む石川県やお隣の富山県が、色々と関係してくる。
 事件自体では、(私が住む)七尾市出身の長谷川等伯の贋作も大きく絡んでくるし、また登場人物の中には、富山藩(加賀藩の支藩)出身の者も登場する。そして加賀藩の支藩・大聖寺藩や九谷焼の名までもが、ある登場人物の逃亡先の中の話で出てくるのだ。
 以前にも紹介したが、澤田さんは「闇の絵巻」で長谷川等伯やその子・久蔵が、狩野派などと格闘する様を描いたりもしている。
 何か、小説の中で自分の住む地域が関わってくると、事実でなく単なるフィクションでも少し嬉しいものである。

 こういう事件解決型の時代小説の場合、私はコンパクトで引き締まった短編ものの話も勿論好きだが、こういう長編ものも、短編とは違った良さ、話に緊迫感のようなものが短編よろ多く感じられ好きである。今後も、時々、このシリーズにおいてできれば長編ものを書いてほしいと思う。

山姥(やまんば)の夜 —足引き寺閻魔帳—』
(澤田ふじ子著・徳間書店)

   シリーズ第6弾。現時点(H18.8.26)では、既刊されている同シリーズの中では最新巻である。これも七尾駅前ミナクル内、七尾市立中央図書館で借りてきた。
 前作の「悪の梯子」では、地蔵寺の宗徳が、浄土宗総本山知恩院に命じられて、京都を離れ、無住寺となった岐阜の歓喜山・安楽寺に、留守居僧の住職とし臨時に赴いていた。事件の舞台も、大半が岐阜であった。
 しかしこの本では何の説明もなく、いつのまにか戻って来ている。
 まあ細かいことは言わないことにしよう。
 
 収められた話は6つ。
 第1話の「夜寒の賊」は、吉田山の天皇陵を、人を雇って盗掘する謎の武士集団の話。第2話の「鬼畜」は、子を生めぬ焼き物問屋のお店さま(女主)がなした善人面をしておこなった鬼畜のような所業の話。第3話の「菩薩の棺」は、人の目にほとんど触れたことのないという有名な秘仏をこっそりと大金で売って、それでいて大法要を行いその秘仏のお堂を普請するなどと吹聴する悪住持の話。第4話の「無間(むけん)の茶碗」は、茶道具商が持つ光悦茶碗と楽長次郎の茶碗が引き起こした悲劇。第5話の「闇の扇」は、隠岐島で宗徳が知り合った男が刑期を終え帰ってきた。彼は俵宗達ゆかりの扇問屋「十四屋」の嫡男だったが・・・・。澤田さんの話の中でよく登場するお店乗取りの悪行の話。第6話は、京で頻発した、店で扱(こ)き使われた賢そうな小僧ばかりを狙った変わった誘拐の話。

 今回の表紙の絵は、いつもより凝っているなあ、と思ったら、本の中でも2度ばかり紹介されている長澤蘆雪筆の「山姥図」の写真であった。私はよくは知らないが、蘆雪は、円山応挙の弟子で、ただしその放埓さのため応挙から破門された人物らしい。澤田さん好みの人物かもしれない。

 作品についてだが私が良いと思ったのは、第2話、第4話、第5話あたりかな。勿論今回の他の作品もいつもと同じくらい手並みあざやかで、コンパクトで佳品揃いである。
 彼女の作品は、(彼女自身のあとがきなどにもよく書かれているが)現代におきた様々な事件をヒントに、舞台を昔に、投影して書いた作品が多い。世に起きる犯罪・事件とは、今も昔も根源的な原因は、ほとんど変わっていないからだ。
 それだけに少し注文をつけるなら、たとえば先に挙げた3話など、現代でもよく起こり得る話である。もっと一歩深く踏みこみ、もう少し人間の業を晒すというか、罪に陥る人間の内面をもっと抉り出すような作品に仕上げて欲しかった。その場合には、1冊に6話でなく、3話くらいにすべきかもしれない。出版社の都合もあろうが、作品の話に適応して長短色々な話に仕上げられないかな、とも思った。

 澤田さんの作品に対しては、久々に苦言を呈した。何度も言うようだが、今回の本が決していつもより劣っているというのではない。既刊のシリーズを一通り読んだ上での、同シリーズの今後の益々の発展を期待しての私の言葉である。

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