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書評(平成18年09月02日)

『名もなき毒』(宮部みゆき著・幻冬舎)

  やっぱり宮部みゆきは、いい。彼女の時代物から入っていった私だが、現代ミステリーも非常に気に入ってます。今回の主人公と同じ杉村三郎が出てくる 「誰か」 は、今年の5月に読んでいるので、前回の話が出てきても、何の煩いもなく読めました。
 
 主人公の杉村三郎の設定だが、ちょっと触れておく。彼の妻の父親は、今多コンツェルン会長の今多嘉親(いまだよしちか)で、彼は会長室直属のグループ広報室(「あおぞら」編集部)で働いている。すでに他界した妻の実母は嘉親の正妻ではなく、愛人であった。周りからは「逆玉の輿」といわれていたが、妻も彼も経営には一切タッチしないという条件で結婚したのであった。

 前回作品「誰か」は、杉村自らが事件を解決していくという感じの展開ではなく、関わりながらも事件を説く鍵なども見つけ、貢献したといった感じだった。元刑事(北見氏)や前作で登場した卯月刑事他数人の刑事が出てくるが、杉村と関わり彼らが事件を解決していくという展開でもない。
 今回は、探偵や刑事のように真相を究明しようとするわけではないが、事件の真相解明への関わり方は、「誰か」より積極的のような感じがする。

 ちょっと前半の粗筋を少しだけ。 

 ある日都内のコンビにで紙パック入りのジュースを散歩の途中買って飲んだ老人(古屋明俊)が、青酸カリが混入されていたため死んでしまった。事件はその頃、埼玉や横浜で連続して起きた同様の手口の無差別毒殺事件と同じ犯人によるかと思われたが・・・・。
 この事件が起きたあと、杉村がいる広報室で、女性アシスタントとして雇ったバイト(原田いずみ)が、編集長と喧嘩し、その後逆恨みのような嫌がらせや事件を起こす。杉村は、トラブルに対処するため、原田いずみの身上調査を行うが、その時訪れた私立探偵・北見氏のもとで、先客として北見氏を訪問していた少女と出会う。それはあの無差別毒殺事件の被害者の孫娘・古屋美智香であった。
 ストーリーは、これ以降、2つの事件が交差するように展開していく。若手で新進気鋭のルポライターの秋山省吾氏などの協力も得て、事件は解決することになる。

 宮部みゆきさんは、現代社会の様々な問題点を小説に盛り込む手際が本当に上手い。

 小説の中に登場する原田いずみのような、自分の非を認めないで社会に怒りをぶつけ、逆恨み行為をする人物は、非常に多くなったように思う。同程度ではないが、私の身の回りにもいる。そしてこういう人は言い訳として自分の都合のいいように平気で嘘をつく。それでいて、嘘!や嘘つきと言われると大いに怒るのである。
 
 この小説の中で、登場する埼玉の連続毒殺事件の犯人のように、人を平気で殺してその自分の行為の責任感は希薄な人物も現代の様相を描写している。世に馴染めず自殺を思い、その前に毒の威力を試すために無差別毒殺を起こすが、女性と知り合い、人生をやり直す気持ちを抱くが、彼の被害者はやり直す(生き返る)ことが出来ない事に思いが至らない。

 こういうことの背景には、子供達が(又は若い大人達が子供の時期に)過保護で、大人たちが幼い時から善悪のけじめをはっきり示さなかった事、またゆとり教育などと言って、教育程度を落ちた事、さらにゲームや携帯電話に夢中になったりした子供の行き過ぎを是正できなかった事、精神年齢が非常に低くなった事などに遠因があるように思う。
 
 学力低下という言葉はよく使われるが、今の中学、高校の教師達は、具体的なレベル低下度は、あまり語ろうとしない。しかし最近の子供は20、30年前ほどの子供と比べると、想像以上に学力が下がっているそうだ。昨年大学の恩師から、ちらっと聞いたのだが、同じ大学でも、昔の生徒と比べると偏差値が5〜10位下がっている可能性が高いという。その年東大、京大といった旧帝大や、慶大、早大など有名私大を合格した人間は、20年前なら、その合格者の殆どが同じ大学では不合格だろうと言うのだ。
 
 また今の世の中は、昔以上に目立ちたがりの者が増え、それだけに子供の頃から見栄を張ろうとする。若者の価値観の上位に目立つことがあるようだ。家の中ではお客様のように扱われることを要求し我儘に振る舞う。親が苦労している様を見ても、コツコツと努力する地道な生き方は馬鹿にされる。辛い仕事には背を向け、楽して暮らすことを望む若者が増えた。有名な大学でも入れば楽して生きられると思っている。世の中を完全に舐めきっている。よってそういった彼らは、社会に出ても長続きしない。有り難いことに、かなりの大人になっても、親が食わせてくれるから困ることもなく、フリーターやニートして適当に暮らす。

 ゲームなど夢中になる上に、読書もあまりしないので、想像力が欠如する。パソコンやゲームなどは、殆どが自分ひとりでやる遊びだし、状況を自分の頭の中でイメージしなくても、自分が画像を創造し動かしているように錯覚するから、数学など論理的な学問や、思いやり・気遣いなど社会で必要な想像力の欠如をもたらす。

 子供を、可愛がりすぎこういう状況を見過ごす親たちは、考え直すべきではないか。働く女性が増え、また学歴がある女性も増え、男と対等に、いやそれ以上に発言力をもった者が増えた。自信たっぷりにパンパンと意見を述べ、理路整然と述べているように聞こえるが、声高に主張する割には馬鹿な事を平気で主張する大人が増えた。

 自分の言っていることを状況にあわせ都合のようにコロコロと変えたり、果たすべき責任も果たさず、自分よがりの屁理屈にすぎないことを言っている女性も多く見かけるようになった。勿論現代の父親たちにも不味い点は多い。お互い主張し我慢しない状況が離婚率の上昇にも繋がっているのだろう。子供の成育には悪い事だらけである。こういう状況が、歪んだ子供を増やしている事は間違いないと思う。

 勿論若者の世代だけでなく、私の世代や、それより上の世代にも、現代的な問題点を抱える大人も増えた。問題点を多分に含んだ私と同じ世代が、より一層深刻な問題を抱えた世代を生み出したともいえる。つまり責任は上の世代にもある。

 主人公の杉村三郎が、事件落着の後、義父の今多嘉親に、妻と娘を危険にさらしたことを詫びるシーンがある。今多会長は、杉村に対して怒っていない旨を述べた上でこう付け加える。
 「ただ、別のものを怒っているよ。空しいとも思っている。自分の無力が悲しいとも思う。これから先の世の中が不安だとも思う」と。 
 10年後、20年後の日本は大丈夫だろうか?
 「いつの時代でも若い世代は、上の世代から危惧されるが。、その実、世の中は常に進歩し繁栄し続けてきた」と楽観する識者もいるが、私は今回だけはそのようにいかないように思える。
 本当に日本の将来が思いやられる。

 現代社会の膿のような暗い部分を描き気分は重くなりがちだが、せめてもの救いは、古屋明俊を殺害した真犯人が、自分の行為の愚かさを悟り後悔する場面である。原田いずみは、まだ殺人までは犯していなかったが(間接的には他人を自殺に追いやった)、警察に行っても、悟るどころか、やっと自分の言葉に耳を傾けてくれる理解者が現れたと書かれてあったが、これを考えると、古屋氏を殺した犯人の方がマシかなとも思ってしまった。

 タイトルの「名もなき毒」について。この世の中は、実際の毒物もあるしその他「名もなき毒」が蔓延している。最近流行のユビキタスという言葉の如く、あちこちに蔓延しているのかもしれない。その「名もなき毒」は、人間の心の中にあるものだけに、その心理状況を、定義づけでもして対象を明確にしないとなかなか対処できないしろものである。そしてそれは心の中の毒だけに、いわば人間自身が毒となって現れるわけである。
 
 話が紆余曲折してしまった。思いつくままに書いたので、今までにも本の紹介を沢山しきたが、久々に相当量の感想を書いた気がする。
 こんな事を書くと、クレームが殺到し、アクセス数激減するかな。
 ちょっと心配だが、時にはこういうのもまあいいかなとも思っている。

 最後に、このシリーズは今後も続くのだろうか?

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