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書評(平成18年09月08日)

『日本古代仏教の展開』
(井上光貞著・吉川弘文舘)

  仏教の歴史に関する入門書とはいえ、学術書である。我家で管理している(今は空家となっている)親戚の家にあった本なのだが、勝手に読んでいいということなので、借りてきて読んだ。昭和50年刊行の本だから今から30年ほど前の古本である。
 私は仏教に対して抵抗感はあまりない。同年代や下の世代の普通の人と比べれば、かなり親近感をもっているほうだろう。といっても説教臭い宗教本や、焼香臭い本、哲学書のような難解な宗教学の本は、私も苦手である。

 読もうと思った動機は、私のHPの「石動山」関係のコンテンツをはじめ、その他の「能登の歴史」の宗教関係のコンテンツのメンテ作業で行き詰りを感じていたことである。現在は、一応アップしてあるが、メンテは事実上中断中である。ネタが無いとかそういうことではない。真言宗とか、密教、仏教など・・・色々書いていながら、その実、自分でもよくわかっていない点が多々ある事が原因なのだ。

 例えば石動山は、真言宗系統の山岳寺院だというのに、中央の寺社で関わってくるのは、観修寺なども出てくるが、天台宗の比叡山との関わりも非常に多い。現場で見た石碑なども、「阿」字の石碑が多いなど、東密(真言宗の密教)というより台密(天台宗の密教)の系統のものが多い気がしていた。"これはいったいどういうことだ!!"と悩んでいたりした。

 それでHPをメンテ続けるには、一度とことん仏教を勉強する必要を感じていたのだ。といっても宗教家や僧侶になるつもりではないから、仏教について歴史学的に解説した本を探していたら、たまたまこの本が見つかったのだ。

 この本は、タイトルの通り、日本に仏教が伝来してからの、展開を鎌倉仏教、一部は室町、戦国あたりまで言及した書物である。といっても書きおろしではなく、著者が折々に書いた論文などを、このテーマのもとに纏めたものである。その割には、非常にまとまった本だと思う。

 第1章の「古代仏教史の概観」や、第4章の「仏教史上の人々」は、高校の教科書にでもしたいくらい、非常にわかりやすい。第2章の聖徳太子の撰や作といわれる「三経義疏」や「十七条の憲法」の論考も面白かった。

 「三経義疏」の「三経」とは「法華経」、「勝鬘(しょうまん)経」、「維摩経」の三つの経典のことで、「疏」は注釈書のような意味で、つまり三つの経典の意味を注釈した本というような意味で、それぞれ「法華義疏」「勝鬘経義疏」「維摩経義疏」からなる。これらは上宮王撰と書かれているので古くから聖徳太子が書いたものと言われてきたのだが、ここではその真偽と各義疏の出来た年代、各義疏同士の関係を考証し、著者の考えを述べている。

 著者の考えを簡単に書くなら、この「三経義疏」は、聖徳太子が書いたかどうかわからないが、3つとも同じ考えのグループに沿って纏められたように思える節があり、聖徳太子が主催した可能性は高い。出来た順序は、「勝鬘経義疏」→「法華義疏」→「維摩経義疏」と思われる。

 「三経義疏」など初めて名前を聞く人には、何のことだかわからず、全然興味は沸かないかもしれない。私も大して知っていた訳ではないが、著者が書いている他の仏典史料などとの比較考証など読んでいると、「三経義疏」など全く知らなくても、推理小説の中の事件を作家と一緒に解いているかのようにひきこまれていく感じだ。

 他にも第3章の「浄土教の成立と展開」など、一応真宗門徒でもあるせいか、非常に興味をそそられた。真宗の説く、浄土教は、平安時代の源信の『往生要集』の系譜をひいてその教えを引き継いできたかのように、(浄土宗を開いた)法然自身も、(浄土真宗を開いた)親鸞自身も考えていたが、系譜はひいていると言えば引いているが、そこには革新とも呼べる思想の大きな飛躍があったことが書かれている。私流の幼稚な比喩で言うなら、三段ロケット(一段目:源信、2段目:法然、3段目:親鸞)によって、民衆の障碍となっていた諸々の条件・重力圏を越えて大きく飛躍したというようなものだった。

 その他にも、一遍上人や空也、日蓮などについても書かれている。また能登出身の仙人・陽勝や臥行者も第4章でちょっとだけ出てくるので、何かしら嬉しい気になった。
 井上光貞さんは今も健在なのだろうか?もうすっかり井上さんのファンになってしまい、今後も他の本をどんどん読んでいきたいと思っている。

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