このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成18年09月11日)

『根本仏教と大乗仏教』
(増本文雄著・佼成出版社)

   今回も仏教の本である。この本は、平成元年に、「仏教講義—根本仏教と大乗仏教の会通を語る」と改題して新装になり再刊されたらしい。(「会通(えつう)」とは、古い仏教の言葉で、互いに相反する二つの所見もしくは概念を、相会して疎通せしめ、一意に帰せしむるほどの意味の言葉である。) 

 根本仏教と言う言葉を初めて用いた人は、この増本さんの先生にあたる姉崎正治先生で、明治13年に書いた本『根本仏教』のタイトルがそれである。それ以来、原始仏教という言葉同様、仏陀(お釈迦様)が最初に解いた教えに対してよく用いられることとなった。お釈迦様の最初の教え系統を引き継ぐ仏教は、小乗仏教なので、小乗仏教≒根本仏教≒原始仏教と考えていいようだ。
 

 小乗仏教(根本仏教)というと、「自己の拠り所は自己のみ」と説き、徹頭徹尾、一生懸命修行することにより自己の人間形成を図り、解脱の心境に達することを目的とするものである。それだけに大乗仏教の方から、自己形成を図る(上求菩提(じょうぐぼだい))個人の道に専念しすぎて、本来全ての者が仏となることを目指す教えで有らねばならぬのに、大衆の救済(下化衆生(げけしゅじょう))が疎かになっている。寧ろ、上求菩提を後回しにしでも下化衆生を重視すべきだ、などと批判されています。
 私も、教科書の説明などを読み、今までよく内容を知らずに大乗仏教の方が優れている、と考えていた。しかし、今回この本を読んでみて、あまりにも根本仏教(小乗仏教)の事を知らなかった、と痛感し、単純に小乗仏教を低く見ていた私の今までの考えを改めるべきだ思った。

 そもそも私は仏教につて、まだ殆どイロハのイ程度しか知らないのだ、と自覚した。この本を読んであらためて分かったのは、(根本)仏教とは、本来「智慧の宗教」で、非常に分析的な仏教だということだ。つまり非常に理性に重点を置く教えなのだ。
 仏陀は、潔癖なまでに理性的であり、よって彼の弟子は、彼の教えを理解できるものが集まったので、当時の社会にあっては、バラモン、クシャトリア、大商人など高い知能を持つ階層の者がほとんどであった。

 中心の法となる「縁起」の概念も、五蘊(ごうん)、六根、六処、六触処などの相関的関係の中から考えられたものであり、ほかにも、三毒、四諦、七覚支、八正道、十二縁起など色々な概念で世の様々な事象を分析して、正覚し悟りに到ろうとした訳である。その分析を「分別」といったのだ。

 小乗仏教と大乗仏教は、同じ根から出ているものの、人間の両掌(りょうてのひら)の左右対称の様のように、非常に対照的だ。著者は主な対称点を列挙しているが次のようになる。
 1 個人と大衆の問題(上求菩提と下化衆生)
 2 分析と直観の問題(大乗仏教は非常に直観を大事にする)
 3 羅漢(阿羅漢)と菩薩の問題
  (小乗仏教は、涅槃の境地に安住する阿羅漢を理想とするが、大乗仏教は正覚を目指して修行中の菩提の姿を理想像とした。)
 4 意識と無意識の問題
 5 理性と感情の問題
  (小乗仏教は、意識下の問題が作用する感情の問題に対しても、意識を整え智慧をもって対処するように教えたが、大乗仏教は、六根の人間の認識作用に、末那識と阿頼耶識の2つの認識を加えて「八識」とし、無意識の面まで分析し、心理学的な方法で、執着などの心の問題に対応した。)

 著者は、どちらが良くてどちらがダメとういうのではなくて、弁証法をもって、小乗仏教(根本仏教)をテーゼとした場合、大乗仏教はアンチテーゼとみなせるから、人間的立場に立って、止揚(アウフヘーベン)を行い高い境地のジンテーゼに到ろうと主張する。
 人間的立場とは、人とは「私一人でなくては生きれないと。それとともに、また私一人では生きれない」と自覚した立場。仏教は、キリスト教のような「神の宗教」ではなく「人間の宗教」なのだから。
 
  というわけで、この本は結局仏教の入門書のような本であり、為になる。私の紹介文は、かなり不正確だから、まあ皆さんには実際に読んでもらうのが一番いいと思います。

 (参考)著者略歴(「BOOK著者紹介情報」より)
  増谷 文雄
 明治35年2月16日、増谷民生の長男として福岡県に生まれる。大正11年、第五高等学校文科卒業。大正14年、東京帝国大学文学部宗教学科卒業。昭和17年、浜松高等工業学校教授。昭和22年、東京外事専門学校教授。昭和22年、NHK宗教専門委員をつとめる。昭和24年、東京外国語大学教授の傍ら、東大・大正・立教各大学の講師をつとめる。昭和26年、東京外国語大学附属図書館長兼務。昭和31年11月3日、1956年度「毎日出版文化賞」受賞。昭和35年、東京大学より文学博士の学位を授かる。昭和35年、スイスのダボスにて国際宗教学会に出席する。昭和39年3月、東京外国語大学停年退職。昭和39年、東京教育大学講師。昭和39年、三康文化研究所評議員ならびに研究指導員となる。昭和39年、日本宗教学会の会長をつとめる。昭和40年、日本宗教連盟理事。昭和41年、紫綬褒章を受ける。昭和42年4月~44年3月、大正大学宗教学科主任教授。昭和43年、国際宗教研究所理事長。昭和44年1月~46年4月、都留文科大学学長。昭和47年、勲三等瑞宝章を受ける。昭和62年12月6日、入寂(八五歳)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください