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書評(平成18年09月14日)

『癌細胞はこう語った—私伝・吉田富三』
(吉田直哉著・文藝春秋)

  吉田直哉氏は元NHKのディレクターである。大河ドラマ「樅の木は残った」、「21世紀は警告する」、「未来への遺産」など素晴らしい番組を手がけた名ディレクターだ。私は、吉田氏を以前から高く評価している。NHKのみならず日本の放送史上最高のディレクターだと思っている。

 特に子供の頃に見た「未来への遺産」の影響は、大きいものであったと思う。あの番組で私の歴史観は大きく変わった。子供ながらにも、歴史というのは現在の眼(視点)ではみてはいけない、偏見が生じる。たとえ今栄えていない国でも、素晴らしい文化を生み出した国や民族もあるのだ。過去の歴史を鑑のように使い、過去をみながら視点を90度回転させ、現代を考え直すような意義というか歴史の観方をするようになった。勿論、子供の頭の中だから、その当時はこんなまとまった考えではなかったが、だいたいこのような事をその頃考えたように記憶している。

 話がそれてしまった。私が非常に尊敬するこの吉田直哉氏の父親が、この本の中で紹介されている吉田富三氏である。つまりこの本は著者が父を語った本だ。ただしかなり吉田富三氏の日記などの記述が使われているので、そういう意味では直哉氏が語る富三氏というより、かなり吉田富三自身の考えが述べられた作品であるように思う。

 吉田富三氏は明治36(1903)年に福島県石川郡浅川村の造り酒屋の長男として生まれる。神童として噂され、浅川小学校卒業後、叔父の生物学者・田子勝彌氏を頼って上京、私立錦城中学、第一高等学校理科乙類、東京帝国大学医学部をそれぞれ卒業。その後大学の病理学教室などに勤務するが、父・喜市郎死去後、緒方知三郎や長與又郎などの世話で(私立病院・杏雲堂病院の附属研究所である)佐々木研究所(杏雲堂の院長である佐々木隆興氏が所長)に勤め、佐々木氏の助手となる。

 私(源さんは)、学校(予備校&大学)の関係で長い間、神田駿河台に通っていた。この杏雲堂病院があったのも神田駿河台。それで、この名を聞くと懐かしい気がする。私が初めて神田に行った当時は、あの病院は確かまだ建て直していなかった。数年したら綺麗な立派な病院になったのを覚えている。

 話を戻す。

 師の佐々木隆興氏と富三は、ねずみへのアゾ化合物による肝臓癌の生成に成功、これは世界で最初の、特定の化学物質による内臓癌の人工発生の成功で、世界から高く評価された。その後、富三は、ドイツに留学、帰国後、長崎大学、東北大学、東京大学で教授として教鞭をとる。昭和39(1964)年日本医師会会長選へ敗戦覚悟で出馬し、歪んでしまった医療制度を改革するため一石投じようとしたり、漢字をなくしローマ字などの表音文字で代用させようという戦後の国語政策に動きに強く抵抗、漢字とひらがななど表音文字併記の日本語の良さを訴えたりもした。

 一通り読んでみると、本当にいい本である。色々紹介したい文章がありすぎて、逆に紹介しにくいくらいだ。この本は中能登町の鹿西図書館から借りてきたが、座右に置いておきたいので、後ほど購入しようとも思っている。

 著者の吉田直哉氏は父のことを評して「顕微鏡を考える道具に使った最初の思想家」と言っている。富三の蔵書を見ただけでは決して彼の職業はわからないだろう、と子の直哉氏が言うほど、非常に広範囲なジャンルの本を読んでいたらしい。非常な読書家だったようだ。
 富三は、直哉氏に対しては長男ということもあったのか、小さい頃から子ども扱いはせず、色々な問いを投げかけたり議論したりして啓蒙したようだ。

 子の直哉氏に、時々吐露した意見など読むと、凄い親父だと思う。この親にしてこの子ありという感じがした。子供にこれだけ畏敬される父親・富三、子であった吉田直哉氏の環境が何とも羨ましい。
 また富三と佐々木氏の師弟関係なども読んでいて、非常に感心させられた。人間はいい人に出会うことによって大きく成長するのだつくづくと思う。

 富三は、戦時中、子の直哉が赤狩りで捕らえられるのじゃないかと思うほど、戦時政策や戦争を批判したかと思うと、終戦間近には、敗色濃い日本だったが逆に非常に愛国的な面を見せたりもする。戦後には、自衛隊をめぐる議論への鋭い批判を述べたりもしている。国語政策への挑戦や医療制度の挑戦なども、非常に良かった。この人は、単に真摯な研究者・学者でなく、本当に優れた批評家・思想家であると実感した。現在でも彼の議論は、十分聴くに値するものであると思う。

 何はともあれ、非常にいい本であります。皆さんにも是非ともお薦めしたい一冊です。

最後に、参考に<BOOKデーターベース>の「書籍紹介」なども転記しておく。
人体に飛躍なし。そして奇跡なし。癌の治療も、最終のところで「癌細胞との共存」なのだ—癌細胞を生涯の師として、その語る言葉に耳を傾け、遂に「吉田肉腫」の発見をなしとげた世界的病理学者・吉田富三。癌細胞も人間も、同じ生命の海の中に生きる仲間だと知ったとき、不可能と思われた癌研究に遙かな地平が拓けた…。

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