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書評(平成18年09月18日)

『出口のない海』(横山秀夫著・講談社文庫)

  ベストセラー作家ということだが、今回この人の作品は初めて読む。Yahoo動画の映画の紹介動画で興味を持ち、読んでみたのだ。
 映画では、主人公の市川海老蔵が白地に紺の文字でMeijiと書かれたあの明治大學の伝統のユニフォームを着ているが、原作では主人公が在籍していた学校は、東京のA大学と書かれてあるだけであった。
 おそらく映画の製作関係者が、映画化にあたって、A大学では画像に出来ないので、明治ということにでもしたのだろう。
 (私も一応、明治大學卒なので、ちょっと気になったのです)

 人間魚雷「回天」は、神風特攻隊と同様、体当たり式の特攻武器である。日本はこのほかにも多くの体当たり式特攻武器を創り出した。現代の眼からみると、狂気としかいいようがない。
 私が子供の頃、今から30数年くらい前だろうか、テレビ漫画で「決断」という番組を放送していた。真珠湾から終戦までの激戦を、適当な内容の漫画でなく、戦争の悲惨さを真剣に描いた迫真の漫画だったように思う。勘違いかもしれないが、時々生のフイルムや写真なども紹介していたように思う。そして確か人間魚雷も話の中で出てきた記憶がある。

 それを見たとき、こんな非人間的な武器を作らせた軍部の上層部は、人の心を持っていたのだろうか。自分は守られて、死ぬとしても一番最後と、卑怯な考えを持った人間ではなかろうか、と幼い頭ながらも考えたのを覚えている。私は、卑怯な人間は大嫌いである。

 少し今回も粗筋を述べる。

 この映画の主人公・並木浩二は、豪腕で鳴らした甲子園の優勝投手で、A大学へ進学するが、腕の酷使がたたって大学野球では、活躍できずに終わる。速球での復活は諦め魔球のような変化球で何とか再起をかけるが、戦局は悪化し、学徒出陣となる。そして海軍を選択し「対潜学校」にまわされることなる。

 「対潜学校」のしごき・訓練の日々のある日、他の訓令生と一緒に講堂へ集められ「敵を撃滅する特殊兵器」の募集を告げられた。詳しい武器の説明は無く「この特殊平気は、挺身肉薄一撃必殺を期するものであり、その性能上、特に危険を伴うものである。ゆえに、諸子のごとき元気溌剌、かつ攻撃的精神旺盛な者と必要としている」と言う。応募の意思があれば、紙に氏名を書いて二重丸を記せという。
 並木は、"挺身肉薄一撃必殺"というこの特殊武器は、使う武器でなく、乗る武器であることが想像でき、危険を感じ躊躇していたが、近くに座る同じ野球部出身の小畑が、二重丸を記したのが見えて、自分も二重丸を付けて提出する。後で小畑に聞くと、彼は怖くなり提出間際に二重丸を塗りつぶしたという。

 そして予備仕官となり少尉となっていた並木は山口県光市にあった海軍第一特別基地隊第四部隊、通称「光」基地に移される。ここで海軍兵学校出の士官などに、リンチのような暴力・しごきを受けながら、訓練を続けることになる。そして並木はここで、同じ大学の陸上部出の北と再会する。彼は、オリンピックを期待されながら、戦争のために出場できず、お互い行きつけの喫茶店「ボレロ」で不遇同士のため貶(けな)し合った因縁があった。今は一階級上の中尉。そして一緒に潜水艦に乗って(「回天」はイ号潜水艦に載せて運んだ)出撃していくことになるが・・・・

 美奈子という女性との恋愛や野球部の仲間同士の友情も織り交ぜて描きながら、戦争の哀歓を描くストーリーの展開になっている。「回天」ではないが、潜水艦を舞台にした小説に吉村昭氏の「総員起シ」や「深海の使者」などもあるが、あれらの本は個人のドラマより、事実が語ることの重みを出来るだけ読者に訴えていこうという姿勢が見え、かなり趣が違う。戦争を取り扱った小説では、久しぶりに青春ものを読んだ気がする。
 
 戦争とは、戦う兵士のほとんどが若者である。昔、岩波文庫で「きけわだつみのこえ」を読みはじめてみたが、半分ほど読んだところで、哀切きわまりないというか、兵士たちの悲壮な覚悟に、それ以上読み続けることができなくなり、やめてしまったのを覚えている。多くの若者が、夢や恋愛などを断たれ、日本の犠牲となって散っていったことは事実であり、そういった観点から、個々の兵士のドラマが小説となることは当然であると思う。

 この本も空想だけでなく、末尾に参考文献があげてあるように、色々調べて書かれたものだしフィクションとして単純に切り捨てるべき問題ではない。当時の回天に関わった人々の姿を十分反映した小説と見るべきだ。日本は、今まで恋愛ドラマ仕立ての戦争ものが(映画ではままあったが)、逆に少なすぎたかもしれない。現代に戦争というものを、訴えるにには、この方がいいかもしれない、とも思った。

 終盤で主人公の並木が、回天の基地で知り合った沖田という兵士に、「日本は負けた方がいい。降伏すべきだ」と敗戦を予想し本音を語る言葉あります。そしてこうも語ります。「降伏は、俺が死んだ後の話さ・・・・・」「俺はな、回天を伝えるために死のうと思う」
 なかなか深い言葉ですが、ちょっと後世からの観点で書いている気もした。でもかなり調べて書いた作品であるから、もしかしたらそのような考えを持って死んだ若者もいたのかもしれない。そのうちまた「きけわだつみのこえ」など戦争に行った者たちの手記などに挑戦してみようと思う。
 
 とにかく戦後世代の我々は、できるだけ多くの戦争の事実を知り、あの戦争で散っていった若者達の体験を生かす必要があろう。私も大岡昇平、火野葦平、伊藤桂一、吉村昭などの戦争小説や歴史の本などを読んでできるだけ戦争の事を知ろうと心がけている。

 このような戦争小説などを読めば、戦争を美化することになるという人々は、逆に偏見を持ちすぎのような気がする。拒絶反応だけの反戦は、ヒステリックなだけで何の理性もなく、進むべき道を誤らせるものである。

 先日読んだ『癌細胞はこう語った—私伝・吉田富三』の中に富三氏が息子吉田直哉氏に宛てて書いた文章の中に、「自衛隊批判を批判した」こういう文章が出てきた。
 「<自衛隊> 自己を否定するものを守るために存在するといふ矛盾。これ以上のパラドックスがあるか。これ以上の欺瞞と隠蔽に耐へてゐる憲法改正までの過程を、お前は俺より長生きするのだから、じっくり見ておけ。
 自衛といふ当然の手段をもつことに反対している護憲論の論旨が、これから先、どういふ理由でどう変わっていくか見ておけ。
 自分の国の民度の低さを知るのは悲しいが、もっと大きな悲しみに耐へてゐる自衛隊といふ存在もあるんだ。----三島(由紀夫)はいいさ。思想を行動に結びつけることができた、珍しい恵まれた人物なのだから。」

 ここに吉田富三氏に批判された護憲論者の考えは、戦争にヒステリックになるだけであまり戦争からは学んでいないように思う。勿論非人道的な特攻武器などは間違っている。そのような一つ一つの具体的問題・過去の過失を反省した上で、間違った道に進まない国として当然必要な防衛問題や外交政策について考えるべきなのだろう。

 とりとめなくまたダラダラと書いてしまった。乱文乱筆いつもながら失礼します。
 私はまだ映画は観ていない。近々映画館へ足を運ぶつもりでいる。

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