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書評(平成18年09月25日)

『生涯最高の失敗』(田中耕一著・朝日新聞社)

  実は、この本も読むのは2回目です。私は、2002年に田中さんがノーベル化学賞を受賞してから完全にファンになってしまい、いまだに注目しています。
 今までに、他にも「田中耕一という生き方」(黒田龍彦・大和書房)や「きめた道をまっすぐに−ノーベル賞化学者・田中耕一の原点」(北日本新聞社刊)なども読みました。彼に関する本が目に留まると、すぐ手にとって読みたくなります。

 この本は、田中耕一さんが、自ら書いた本です。受賞以来、マスコミや世間から追い掛け回され、講演依頼も数多く、一時は好きな研究がなかなか出来なかったそうです。彼としては、一エンジニアとして職場に戻り、好きな研究をしたい。それで講演の代用品としてこの本を用い、講演依頼を断りたい意味合いもあるようです。

 こう聞くと、嫌な性格に聞こえるかもしれないが、非常に真面目なエンジニアの悲痛として聞いてあげて欲しいと思います。

 最初の「エンジニアとして生きる」の章では、生い立ちや、島津製作所での研究開発時代の話、ノーベル賞を取るまでの経緯などが語られています。
 第2章の「生体巨大分子を量る」は、受賞後(2003年4月10日)ホテル・オークラで開かれた「ノーベル化学賞受賞記念 田中耕一講演会」に加筆修正したものです。

 そして第3章の「対談 挑戦と失敗と発見と(田中耕一×山根一眞)」は、上の講演会の後、同じ会場で開かれたその名の通り山根一眞さんとの対談です。山根さんが、講演会を受けて、分かりにくかった点など質問したり、また山根さんが自分の理解の仕方でいいかなども田中さんに尋ねたりして、田中さんの講演を補説ひたような格好になっています。

 田中耕一さんが、ノーベル化学賞を受賞したのは、ソフトレーザー脱離イオン化法を開発し、それまで計測できなかった質量数が一万を超えるような高分子の質量を測定できるようになったことによります。これによってたんぱく質など生体巨大分子を量れるようになった訳です。

 具体的にいうと、計量したい物質(試料)にレーザー光線を照射し、瞬間的に急速加熱してイオン化して飛ばし、その飛行時間を計ることによって質量を量るそうです。質量が軽いものほど速く飛ぶし、また照射時間などにも比例するので、その辺りの関係を利用しての装置のようです。

 しかし化学者の間からはこのやり方は無理だ、常識はずれと言われていたやり方であり、田中さん達は、かえって素人だけにそのような考えにとらわれず研究したようです。試料を瞬間的に急速加熱しイオン化するのが実は非常に難しく、その補助剤(マトリックス)として、コバルトの金属超微粉末(Ultra Fine Metal Powder 略してUFMP)など用いたり、グリセリンを用いたり、保持剤としてアセトンという有機溶媒を使ったりもしたが、うまくいかず壁にぶちあたっていたといいます。ある時、アセトンと間違えて、グリセリンを、マトリックスとして既に金属超微粉末を加えてあった試料(ビタミン12)に混ぜてしまいます。

 彼は間違いに気づきますが、その失敗作の試料を捨ててしまわずに、「もったいない」という気持ちから、そのままで実験を続け、ついに求めていたイオン化らしい変化が生じたことに気づきます。そしてこの時の失敗試料による実験が、ノーベル賞へと繋がる訳です。この「もったいない」という言葉は彼のおばあさんの口癖であり、いつの間にか彼の気質ともなったそうです。
 
 読んでいて、本当に彼の真摯で、コツコツと地道に仕事を仕上げていくエンジニアらしい(私の一番好きなタイプ)人柄が伺えます。また非常なあがり症で入社試験に落ちたことなども、自分に似ているところがあり(自分は大学試験であがり、絶対大丈夫というところを数箇所落ちましたが)、好感がもてました。

 私は文科系の大学を出ましたが(ただし高校時代は理系)、今では私も、(山根さん名付けたようながメタルカラーの高等なエンジニアではないけれど)ブルーカラーの街角のエンジニアです。それゆえ非常に尊敬し、目標の人物(絶対に届きませんが(笑))でもあります。

 その彼が、今の日本でエンジニアが尊敬されていない状況を危惧し、技術立国を目指すなら、こういうエンジニアたちが、「ネクラ」などと揶揄されるのではなく、正等に評価されるようになることを訴えている箇所では、励みになり、共感もしました。

 本当にもっと日本は、こういう地道に頑張る、日本の屋台骨を支えているエンジニアたちを尊敬する風土になるべきだと思いました。経済大国日本を一番支えているのは、金融やサービス部門ではなく、何と言っても物つくりであり、その中心はエンジニアなのですから。

 化学の成果を紹介した本だから難しいと思う人もいるかもしれませんが、私は前回読んだ時も、今回も比較的スラスラ読め、理解できたように思います。想像するほど難しくはないと思いますので、この下手糞な私の紹介で興味を持った方は、一度読んでみたらいい思います。

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