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書評(平成18年10月05日)

『春日井シンポジウム第3回 
壬申の乱 〜大海人皇子から天武天皇へ〜』
(森浩一・門脇禎二編・大巧社)

  愛知県春日井市が主催する歴史シンポジウムをまとめた本である。中国哲学史で有名なあの福永光司氏をはじめ、日本古代史や日本考古学の気鋭の学者による幾人かの人から基調講演や基調報告。そのあと、編者の森浩一氏、門脇禎二氏、直木孝次郎氏や、講演、報告者などを交えての討論会といった内容である。

 10年位前の本だが、当時の最新の状況を報告し、その基調講演や基調講義に基づいて討論するといった形なので、読んでいても熱気が伝わってくる感じだ。
 
 私は最近になって古代史や考古学に結構興味が出てきた。それで中能登町鹿西図書館でこの本を見つけた時、中身も斜め読みして確かめることもせず、迷わず借りてきた。
 私は、壬申の乱は、大化の改新以上に、歴史を大きく動かす事件だったと考えている。よって特に興味がある。古代の戦争の中では、継体戦争、蘇我物部戦争とともに三本の指に入るのではないか(対外的には白村江の戦いなどもあるが)。

 この本の中では、大海人皇子が、なぜ吉野から東国へ向かったのか、美濃の湯沐邑(ゆのむら)へ向かったのかということに対して、湯沐邑が単に大海人皇子の食封であったというだけでなく、その近くに赤鉄鉱を産した金生山があり、どうやら製鉄が盛んで武器庫があったらしいという話が出てくる。
 壬申の乱以降に、美濃で沢山の寺院が建てられたが、その寺院の瓦が、川原寺のものと形式が非常に似せて造られていることから、その建立は戦勝後の論功行賞で建てられた可能性が高いという話も出ている。

 また古代の有名な三関(鈴鹿関、不破関、愛発関)は、壬申の乱の前からあるのではなく、乱以降に造られたらしい、さらにその目的は(畿内に備える構えなどからして)畿外に対して用心して造られたのではなく、不穏時に反対勢力が畿内から逃れでないよう(壬申の乱における天武天皇自身の経験から)造られたのではないかとする話。
 大海人皇子(天武天皇)の行動や施策には、中国の漢の劉邦や武帝、道教などの影響があるのでは、とか、その他、中国や朝鮮半島の動向(国際状況)とのからみ、などなど、読んでいて興味がそそられ、もっともっと教えて、話して、と言いたくなるほどであった。

 10年ほど前の本といっても、決して古い内容ではありません。それにこれだけの錚錚たる面子を集めてシンポジウムを開いた春日井市の凄さ(この時のシンポジウムで3回目とか)に驚かされます。それだけに貴重なシンポジウムの記録だと思います。古代史に興味のある人には、是非ともお薦めの一冊です。

参考にインターネット上の「BOOK」データベースに書かれた紹介文も転記しておく。
「緊迫した東アジア情勢の中で起こった日本古代史最大の内乱!皇位継承をめぐる乱の真相は?大海人皇子はなぜ美濃へ向かったのか?発掘の成果が語るものは?乱とその背景をさまざまな角度から解明する。」

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