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書評(平成18年12月11日)

『死顔』(吉村昭著・新潮社)

  吉村昭氏は、私の特に好きな作家の一人である。今年八月の初め頃、このインターネット上のYahooNewsでその突然の死を知って驚いたのを覚えている。いまだに非常に残念である。
 延命治療を拒み、自らカテーテルポートの針を引き抜いての尊厳死であり、遺言によってその死を焼骨まで秘匿したことも、ニュースの中で書かれていたように思う。

 今回、この本の巻末の、彼の夫人で作家である津村節子さんいよる「遺作について—後書きに代えて」の中にも、その際の氏の行動が詳しく書かれており、あらためて吉村氏の尊厳死について考えさせられた。この本に収められた作品も、ほぼ全てが「死」にまつわる作品である。

 氏自身、青年時代に死病を乗り越えて、その後50年以上生きた。また9男1女の8男として生まれ、父を戦後まもなく亡くし、また兄弟達も次々と病死や戦死で亡くす。70歳を超え、残り2人の兄のうち、次兄を亡くし、身内の多くの死を見届けた。そして自分もついには舌癌にかかるが、周囲には隠し続けた。
 この本は、帯紙に書いてあるように、そんな吉村氏が遺書のように書き残した短編をまとめた本である。

 巻頭の「ひとすじの煙」は、吉村氏が青年時代大病での手術後、湯治のために半年あまりを過ごした温泉宿の思い出の話である。出だしは次のような文章で始まる。
 「高名な脳専門の医学者から、こんな話をきいたことがある。
 脳は容量の定まった容器のようなもので、そこに経験されたことが記憶として流入してきて貯えられる。歳月の経過とともに記憶の量は増して、やがて定量に達する。
 さらに新しい記憶が流れ込んでくるが、器は容量一杯となっているので、それらは上部のふちを越えて流れ出る。高齢に達して人名などの固有名詞が思い出せず、いわゆる物忘れの傾向が現れるが、それは器からこぼれ出た新しい記憶にかぎられる。
 容器に貯えられている過去の記憶は、そのまま器の下部に沈殿して、忘れてしかるべき遠く過ぎ去った幼少時期などの記憶は鮮明に残されている。」
 このように冒頭にもってくると、何か遺作を意識して、思い出を綴った文章のようにも思え、なかなか味わい深い。

 吉村氏は、青年時代に肺結核で死の間際まで至ったが、その当時極めて危険な手術だった肋骨切除という手術を受け、何とか回復した。そして湯治で訪れたのが、どうやら那須近辺の山里の温泉らしい。そこで氏は温泉宿で働く赤子を伴った若い夫婦と出会うが、その妻子が自殺に至ることになった思い出話である。

 2番目の作品「二人」は、吉村氏の晩年に残った二人の兄のうち、次兄が亡くなる際の話である。実は後でも述べるが、この兄の死に関しては、巻末の「死顔」でも取り扱っている。ただこちらの「二人」はその兄が、実は隠し子を残しており、死期を感じたのかそのことについて息子に打ち明け、それについて、吉村氏がその息子から相談を持ちかけられた話がテーマの中心をなす。

 3番目の作品「山茶花」は、死の前年に書いた作品らしい。犯罪を犯した者の更正を見守る保護司の話である。夫の介護につかれた妻が、腰痛などからこれ以上の介護は無理と考え、常々死にたいと言っていた夫を絞殺する。主人公は、刑務所から出てきたその老女の介護司を勤めることになる。再犯の可能性はなさそうだが、老女の言動に時々垣間見られるその考えに違和感を覚える。・・・・・・

 4番目の作品は「クレイスロック号事件」というタイトルだが、吉村氏自身はタイトルは付けてなかったようだ。巻末の注記に、死後節子夫人が付けたと説明書きがある。
 舞台は明治20年代。その頃日本は、外国との不平等条約改正に努力していたが、米欧に出かけ交渉したにもかかわらず、ほとんど成果をあげられずにいた。そんな折に北海道宗谷岬沖でロシア船が姿を消した。ロシアから捜索の協力を要請され、大隈重信首相の日本政府は誠意を持って対応する。それが一つの契機となり、条約改正へと向かうという話である。ペルー人質事件で有名になった青木大使の先祖にあたる青木周蔵なども出てきて、活躍する。私は萩で彼の旧家にもいったことがあるので、何か感慨深かった。

 最後の話は表題作でもある「死顔」である。「二人」のところでも述べたが、これは晩年に彼の兄として残った二人の兄のうち次兄の死に関してのものである。この作品には吉村氏の死に関する考え方が一番表れていると思う。実際、この作品で述べている考えとほとんど同様の内容が、自分の遺書の中で、自分の葬儀の方法などに対する遺志に述べられている。そういう意味でも遺稿集としては巻末作品として最適かもしれない。

 以上が、この本に納められた作品である。
 実は私はつい数日前叔母を亡くした。またここ1年で、他にも叔父1人、叔母1人も亡くした。それら3人の死際の見舞いにも行っている。何かそれらの死や葬儀の際の出来事や感じたこととも、この小説の内容と重なり合うところがあり、普通の状態よりは、深く味わうことができたように思う。全ての人間が避けることが出来ない死についても、吉村氏からのメッセージのような気もした。

(この本は中能登町鹿島図書館図書館からから借りてきた本です)

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