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書評(平成18年12月20日)

『わが長州砲流離譚』(古川薫著・毎日新聞社)

   いきなりだがまず帯紙の紹介文の転記する。「幕末の攘夷戦争の際、英仏蘭米に散った幻の長州藩の青銅砲。1966年にパリで長州砲を発見した著者が、安倍晋太郎外相のもとで、フランスからの長州砲返還運動を展開し、さらに残る3カ国で長州砲を発見するまでの記録。 」
 この本では、この本の趣旨ともいえる上記のような内容がプロローグで述べられ、それにつづく前半の部分では、まずその攘夷戦争の経緯が述べられている。

 日本史でも習う内容だが、この本を参考に一応簡単に経緯を説明する。
 幕末、尊皇攘夷の急先鋒となった長州藩は、勅許なしに開国した幕府を咎め、朝廷の急進派・三条実美らと組んで画策し、幕府から「攘夷期限を五月十日とし、開国を拒絶」という言質をとる。

 文久3年(1863)5月10日、期限切れを迎えた日、長州藩は関門海峡を通過した早速アメリカ商船ベンブローグ号を砲撃する。その後も、海峡を通過したフランス軍艦キャンシャン号、オランダ軍艦メジューサ号を砲撃。6月1日にはアメリカ軍艦ワイオミング号の報復攻撃を受けた長州藩は応戦するも、3軍艦が撃沈または大破。また6月5日フランス軍艦のタンクレード号とセミラミス号2隻も報復攻撃のため来航、前田に上陸した上、砲台や大砲などを破壊したり、火薬や弾丸などを海中に棄て退却した。

 その後、長州藩は、高杉晋作による奇兵隊の結成などで予想される報復攻撃に備えるが、同年の8.18政変でいわゆる七卿落ちがあり、翌年元治元年(1864)の禁門の変で、朝敵となる。
 長州から攻撃された3国以外にイギリスも、関門海峡の封鎖により、長崎での貿易活動ができなくなり、急に懲罰の動きに出る。

 同年7月末横浜を出航した英仏蘭米と四ヶ国連合艦隊は長州に向かった。総合戦力は砲291門、兵員5014名という膨大なものだった。8月5日、連合艦隊側から攻撃開始、しかし圧倒的戦力の差のため、上陸の上、各砲台を占拠され、各砲台設備などが壊された後退去。その際、150門近くあった砲のほとんどが、戦利品として4カ国に持ち去られた。
 その後、これらの砲の行方は杳として知れなくなる。

 この本の後半は、著者自身が、長州砲の行方を追って、4ヶ国それぞれで長州砲を発見するにいたる経緯を厚く語っています。
 1966年パリのアンヴァレットで長州砲を見つけた著者は新聞記事を打電、その後長州砲返還運動を展開します。その後外務大臣となった安部晋太郎は、彼も著者同様長州藩のあった山口県出身であったこともあり、長州砲返還運動に尽力。当時父の秘書をやっていた安部晋三(現総理大臣)が長府にあった鎧と相互貸与という妙手を思いつき、それも功を奏して戦利品は返さない事を原則とするフランス側説得に成功。

 また長州砲についての幾つか著書を書くことによって、情報を求め、幾つか有力情報を得ます。次第に情報を得た、イギリスのロンドンの大砲博物館や、アメリカのワシントン海軍基地、オランダのアムステルダムの国立美術館などへ出かけ確認。それぞれ1門から数門、中には切断され先端のみ残すものもあったが、20世紀の間に何とかそれぞれの国へ砲が渡ったことが裏づけられた。見つかった大砲は、関門海峡に備え付けられた約150門のうちのわずかだが、著書は一応目的を達したことに満足。

 その後、山口県でも、砲台跡の発掘が進められ新事実などが出てきたり、対岸の小倉藩が戦争の模様を記録した報告書などを入手したりして、攘夷戦争当時の様子がさらにわかってきた。それらの記事もあわせ、載せてある。

 古川薫氏は、山口新聞記者から作家に転進した方で、これまでにも山口県近辺の地元を舞台にした沢山の歴史小説などを書いている。愛郷心に溢れた作家だ。私もこれまでに何冊もの本を読んでいる。
 こういう地元地方に拘る作家を嫌う人もいるかもしれないが、私は結構こういう人たちの作品が好きである。根無し草のような作家の都会的横暴な発言より、よっぽどマシである。東京など大都会出身の作家に時に見られる、(自分の能力の成果でなく)大都会という大樹に寄って大口を叩くような態度は、地方からみると非常に腹立たしいものである。

 こういう調査報告のルポのような作品は、興味のない人には、何をつまらないことを、と思うかもしれない。しかし、たとえ他の人の評価が低かろうと、忘れ去られ消えかかろうとしている歴史を掘り起こし、記録を残そうとする著者の志は私は同感できるし高く評価したい。
 この本は、今年8月に発刊された。ちょっと遅いが、著者に、この本が上梓できた祝辞「おめでとう」と、「ご苦労様」という言葉をかけて、この記事を終えたい。 

(この本は七尾市立中央図書館から借りてきた本です)

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