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書評(平成19年01月02日)

『光る壁画』(吉村昭著・新潮社)

  この本の著者は、昨年7月末に亡くなった吉村昭氏である。私は、ここ数年かなり吉村氏に嵌っていたので、彼の死は非常に残念であった。SNSでは吉村昭氏を顕彰するトピックなども設けているが、同調者は少なくいまだに反応は無い。彼の作品をできるだけ多く紹介して、わたしひとりでもいいから吉村昭さんのことを顕彰したいと考えている。

 この作品は、朝鮮戦争前後の頃、日本で胃カメラの開発に熱い情熱に傾けた男達のドラマである。主人公の曽根菊男以外は、ほぼ登場人物は実名で出てくる。この曽根菊男も、実在する深海正冶をモデルにしており、私生活以外は、だいたい本当のことらしい。またこの小説でオリオンカメラとして出てくる会社は、オリンパス光学工業株式会社のことで、それを小説とするにあたって、フィクションも多く取り入れるために、名前を変えたらしい。

 この胃カメラの開発の話は、NHKの高視聴率番組だった「プロジェクトX」でも出てきた。ご覧になった方も多かろう。あの中でも3人の開発に関わった男が登場したが、たぶんあの3人が、ここに登場する3人と同一人物なのだろう。

 小説の中では、この開発の主なメンバーはオリオン(オリンパス)の杉浦睦夫、曽根菊男、それに東大医学部附属病院分院の副手の宇治達郎という若い外科医。

 主人公の曽根菊男の経歴が面白い。戦前は海軍航空技術廠支廠にいて、あの零戦搭載の13ミリ機銃の同調発射装置を開発した人物だというのだ。私は旧日本海軍が開発した技術に関する本も何冊かもっているが、これは回転するプロペラの間から機銃の弾丸を発射する装置で、海軍ご自慢の技術の1つであった。もし曽根菊男のこの経歴が、深海正冶の経歴そのものとすると、なかなか興味深い。著者はあとがきで、主人公の私生活を創作したが、胃カメラと氏の関係は事実と述べているから、この略歴もおそらく事実ではなかろうか。

 同僚の杉浦も面白い。オリオン(オリンパス)で、日本で2番目に位相差顕微鏡の開発の成功した人物だそうだ。

 曽根は、戦後一時期精密機械工業の別の会社に勤めるが、その後オリオンカメラに転職。技術者として従事するが、とくに担当の開発テーマもなくいた頃、オリオンカメラが諏訪に疎開していた先が、宇治達郎のいわば実家だったという関係から、胃カメラ開発への協力の依頼が舞い込み、その開発に没頭することとなる。

 曽根は、胃カメラ開発の担当となってからも、杉浦がしばらく位相差顕微鏡の開発に専従していたため、本格的な開発に取り掛かられずに、宇治などの指導で胃カメラ以前の検診具の下調査や関連する医学的な知識の吸収など行う。本格的に取り掛かるようになってからも、カメラを取り付ける管の素材選び、フイルム、レンズ、豆電球の開発にあたって、失敗を何度も重ね、社内からも批判を受けつつも地道に我慢強く開発を続ける。試行錯誤しながら少しづつ改良し、成功ににつなげていく姿が、非常にうまく描かれてます。

 こういう開発には、必ずといってよいほど家庭の犠牲があるものです。この小説では、主人公が箱根湯元の温泉宿の長男でありながら、自分はそこを継がず、技術者であることを希望し、東京に残る。実家の旅館は、妻と母に任せていた。母が亡くなっても、家を継ぐことはせず、まだ若い妻が宿を切り回すことになる。開発に追われ、実家に帰ることがほとんどなくなる。別居生活が長く続き、夫婦の間に不和が生じ始め・・・・

 このあたりは、著者創作のフィクションらしいが、おそらく似たような秘話があったのではなかろうか。こういうった苦労を乗り越え、世界で初めて胃の中の患部をはっきり撮影することに成功、その後の胃カメラやファイバースコープなどの進歩発展の基礎となり世界の医学に大きく貢献することになる。

 医者として開発にたずさわった宇治達郎は、この本によれば、その成果を学会で発表した時は、同じ東大の旧式の検診具を使う医者などに酷評されたりしたらし。東大に従事していた時代はあまり評価はされなかったようだ。そういった教授クラスの人たちとの折り合いが悪かったのだろうか、彼はその後、東大病院を辞め、実家の病院を継ぐ。この本でなく、プロジェクトXの方で語られていた事だが、宇治達郎は、死ぬまで自分が胃カメラの開発にたずさわったことを周囲の者に語ることはなかったという。謙虚な慎み深い人物だったのだろう。

 私は、こういう話が大好きだ。学生時代に、日本の繁栄を支えた知られざる技術者たちを描いた内橋克人の「匠の時代」や、その他同様のノンフィクションなどからかなり影響を受けた。勿論プロジェクトXも大好きな番組だった。日本の高度成長を縁の下の支えたこういった男たちの生き様をみると、感動せずにはいられない。私は、自分の価値観の中では、こういう男達が、一番カッコイイと思っている。
 
 将来の日本にもう高度成長は望めないとしても、どういう人物が発展時代の日本を支えていたのか、繁栄復活のために今の日本に欠けているものは何か・・・etc を再考するには、こういう本を読んで参考にするのも1つの方法ではなかろうか。

 皆さんにも是非お薦めした本だが、どうやら現在絶版らしい。読みたい人は、古本屋か図書館で探してみれば、意外と置いてあるのではなかろうか。私自身はブックオフでこの本を見つけ購入した。

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