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『天保妖盗伝 怪談岩淵屋敷』(鳥羽亮著・双葉社) |
天保2年(1832)5月、両国橋たもとに大小の見世物小屋が櫛比し無数の幟旗が川風にはためいていた。回向院で信濃善光寺の阿弥陀如来のご開帳に参詣する客を当て込んでだ。 その中に「お岩屋敷」と演じものを染め上げた「百鬼座」の姿があった。呼び込みの声は恐ろしげだが大した見世物ではない。実はこの一座、盗人集団の世を忍ぶ仮の姿なのだ…。 座頭の百鬼座屋彦斎をはじめ、他6人の座員は、旗本屋敷に何度か盗みに入っていた。旗本屋敷は意外と警戒が甘く、盗みに入ってあらかた仕事を終えた頃になると、女形達乃助などに幽霊や火の玉を裏庭などで演じさせる。たまたま起きていた者などは、そちらに注意をとられ、他の者達は、その隙に引き揚げるのだ。幽霊姿を見たものも、一人ではなかなか近寄れず、屋敷全体が騒ぎに気付くようになってはじめて検めようとするのが普通。よって幽霊を演じた者たちも騒ぎが起こる前に引き揚げれば、捕まらない。 江戸の者達は、このような盗み方をする彼らを、幽霊党と読んだ。彼らが旗本屋敷を選んでは盗むのは、彼ら旗本は大金をある程度盗まれても、庶民ほど困らないからであった。その上旗本たちは、盗みに入られても、訴え出たところでお金を戻ることはほとんど無いので、幕府からの叱責を考え、届け出ないのが普通であった。 また幽霊党こと百鬼座の盗人一味の彼らは殺しをしないのを信条としていた。いざという時の用心棒役の柳谷与右衛門という浪人はいるが、脅したり殺したりするためではない。あくまで見つかって逃げる際の用心のためだ。 ある日、本郷の岩淵忠左衛門という二千石の旗本屋敷に忍び入った。4百両と金になりそうな高価な品々を盗んで、いつものように引き上げ頃、女の幽霊と火の玉を演じて、引き上げ、無事盗みに成功。しかし、彼らの小屋にやってきた客から妙な噂を聞いた。岩淵屋敷に盗みに入った幽霊党が、何と(四百両しか奪っていないのに)九百両を奪った上に、嫡男と奥方を殺害したと噂されているのだ。百鬼座の彼らには見に覚えがない。 旗本屋敷は町方とは支配違いとはいえ、盗人による殺害が起きたということで、火付盗賊改方の者達のほか、東西町奉行所が盗人の探索に動員された。町方では定町廻り同心のほか、臨時廻り同心、隠密廻り同心の三廻り全員を動員しての捜査となった。捜査は競争のような観を呈してきた。今まで目をつむっていた小者の泥棒なども片っ端で逮捕したり、あやしい者なども別件逮捕するなど捜査は厳しさを増し、江戸の盗賊は脅えた。 そのため幽霊党は、町方や火盗改の捜索の手のほか、同じ盗人からも、許されざる畜生働き(盗みの際に人を殺すのをためらわないやり方)をする憎っくき奴らということで恨まれる。 彦斎は、疑いを晴らすために、彼らなりに真相を調べようとするが・・・・ まあ粗筋の前振り部を少し紹介すると上のようになる。 面白いことは面白いが、一つ注文をつければ、話の展開にちょっと無理があることだ。私は最初から主犯とその共犯者がわかった。勿論私の推理は当たっていた。岩淵屋敷を調べてみれば、屋敷の主人が病気で寝込んでいて、その上、妻と子供が殺され、主の弟(平八郎)が残り、彼が跡継ぎに決まる。 それなのに彦斎ら百鬼座の者達は、自分らが盗みに入った後、他の盗賊が押し入ったのではなどと推理する。畜生働きするほかの盗人や、怪しい人斬りに疑いをかけたりするが、違うとわかり、やっと屋敷内部の犯行ではと推理する。遅すぎるし、常識的な推理とは思えない。こういった辺りが問題点だろうか。 まあこういうことに拘らなければ、楽しく読める本ではなかろうか。まあ煩いこと言わずに、娯楽小説として気楽に読むのが一番良いのだろう。 (この本は七尾市立中央図書館(ミナクル3F)から借りてきた本です) |
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