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『国家の品格』 (藤原正彦著・新潮新書) |
手抜きであるがまず、インターネットのAmazon.co.jpに載っている「出版社/著者からの内容紹介」をまず転記。 「日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論。 」 著者の藤原正彦氏は、数学者で作家・新田次郎と藤原ていの次男である。エッセイも数々書いており、昨年(2006年)はこの本のタイトル「国家の品格」が「イナバウアー」とともに、流行語大賞に選ばれたから、名前だけは耳にしたというかたも多かろう。噂にたがわず、非常に面白い本だった。一瞥ぐらいだと偏屈オヤジの本のように思えるかもしれないが、じっくり読むと、この何とも頑固一徹な率直なものいいの意見が、私にはとても快感に感じられた。 数学者であるのに、第2章でいきなり「「論理」だけでは世界が破綻する」と主張し、それを証明さえする。最も重要なことは論理で証明できないとし、日教組の集会で会議の終了間際、傍聴席の高校生から「なぜ人を殺していけないか」質問されて、誰一人論理的に説明できなかった例をあげたりしています。駄目なものは駄目、論理ではない。重要なことは押し付けよ、と主張。 また普通に言われる英語をできるだけ早く学校で教えよ、という意見に反対し、英語より国語教育を充実せよ、もっと子供に読書させ、日本語で深く考える力を身に付けさせる方が重要だと言う。最近増えてきた英語だけ出来て中身の無い国際人気取りの日本人に、あまり喋ってくれるな、というような事が書いてある箇所は思わず、笑ってしまった。 数学の論理と論議の論理を比較し、数学の論理は長くても成立するが、論議の論理は長いと正しい確率がどんどん減ることも述べ、長い論理の弁舌は疑わしいことなど数学的にも証明。 また(言葉の)論理には出発点があり、論理も重要だが、出発点の選択はそれ以上に重要と指摘。出発点を選ぶのは、論理でなく、宗教、習慣、伝統など情緒や形だと言う。例えば武士道で言えば、惻隠の情とか、名誉や誠実や正義を重んじる心だとか精神の形だと。 そして「卑怯」を教えよといいます。勿論卑怯な事をせよ、というのではなく、卑怯と感じる心を養えということでしょう。私も、今の世の中が悪くなったのは、いじめにしろ、企業倫理にしろ、卑怯を愧じるという気持ちが薄れた事が大きな要因だと思っている。それだけに非常に共感できる訴えであった。 ホッブス、ジョン・ロック、カルバン、アダム・スミス、ジェファーソンとつながる自由・平等・民主主義の思想に関する疑問点を提示し、必ずしも民主主義が最高のものではなく、民主主義が戦争を引き起こしてきた実態や、国民は永遠に成熟しないことを指摘している。また「真」のエリートが必要なことや、「差別」に対して「平等」でなく「惻隠の情」で応ずることなどを訴えている。 これらの訴えには、私もホッブスに始まる経済・社会思想など学んできたので、ちょっと面食らう点もありますが、わからぬかというと、こちらの方が日本人としてはわかる感じがします。論理の原点というか出発点から、(偏見を棄て)考え直してみる必用があると思った。 藤原氏は日本が世界に冠たる情緒をもった国民であることを述べています。その中でも、日本人の誇りうる情緒として「懐かしさ」「郷愁」をあげ、その「懐かしさ」が「4つの愛」の基本だといいます。4つとか、1に「家族愛」、2に「郷土愛」、3に「祖国愛」、4に「人類愛」です。順番もこの順番に重要だという。 私は、自分で2,3,4ともかなり強い人物だと思っているだけに、ちょっと誉められたようで、嬉しい気分になった。私のHPなどみてもらえばわかるが、自分の住む七尾市、さらにはもう少し広げて能登を愛する心は、誰にも負けないくらいある。 ただいまだに(父母と暮らす)独身者でもあるので、夫婦の気持ちや子供を思う気持ちは、それらをもつ家族と比べれば無知で、その分未熟かもしれないと内省し戒めた次第です。もっと読書などに励み人格を高め、惻隠の情などで補正する必要があるのだろう。 どんな論理や合理も、戦争は停められなかった。この事実から著者は、人類は、歴史的に見て、論理とは自己正当化のための便利な道具でしかなかったことを思い知らされてきたと言う。そしてトインビーの「人間とは歴史に学ばない生き物である」という皮肉も引用する。 最後の第7章のタイトル名は、表題と同じく「国家の品格」で、天才の出る風土などを述べている。天才は、人口に比例してではなく、天才が出る土壌というものがあり、条件があるといいます。第1に、美が存在すること、第2に「跪(ひざまづ)く心」があること。神や伝統とかに跪く心があること。そして最後が「精神性を尊ぶ風土」、文学、芸術、宗教など直接役に立たないことをも尊ぶ風土、金銭や世俗的なものを低く見る風土という。 そして日本は「異常な国」であれ(特異な国でOK!の意味)といい、世界から敬意を払われる品格のある国であれと言う。品格ある国家であるためには、1に独立不羈の国家であること、2に高い道徳を持った国であること、3に美しい田園が保たれた国であること、4に学問、文化、芸術などで天才が輩出する国家であること、この4つをあげる。 これらは、現在一部は次第に失われつつありますが、日本にはもともとこれらの条件が備わった国であり、日本人は、今こそ金銭至上主義を何とも思わない野卑な国とは一線を画し、国家の品格を保つことが必要と訴える。日本人一人一人が美しい情緒と形を身に付け、品格を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務だと言います。 私も、他国をずっと手本としてきた日本には、孤高を保つのは難しいと思います。しかし作者は世界を支配してきた欧米の教義は、ようやく破綻をみせはじめ、世界は途方にくれている。この世界を本格的に救えるのは、時間はかかるけど、先に述べた品格を身に付けた日本人しかいないと主張し、文章を終えています。 あなたも読んでみれば、この本がベストセラーになったのが必ず頷けると思います。これを読んで、あなたも品格ある日本人になることを、他の方々に奨めてみませんか。 (この本は中能登町鳥屋図書館から借りてきた本です) |
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