このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成19年02月6日)

『日本はなぜノーベル化学賞につよいのか!?』
(吉田八束著・広文社)

  このコーナーでも何度か田中耕一さんに関する本(本人が書いたおよび他の人が書いた本)を紹介してきた。いまだに私の頭の中では、ブームは治まっていない。続いている。とにかく好きだ。また他の科学系のノーベル受賞者が書いた本もいくつも紹介してきた。野依良治さん、白川英樹さん、小柴昌俊さんなどの本も同様に紹介してきました。

 この本は、田中耕一さんを中心に、日本で近年ノーベル化学賞受賞者が多い背景などを色んな側面から考察しています。タイトルにあるように「なぜ化学賞に最近強いのか」も書かれていますが、生い立ちや生活環境、成果をあげるまでの経緯を述べ、それがどのようにノーベル賞受賞に結びついたかを述べ、ノーベル賞をとるような独創的研究はいかに行われるかを考察しています。もちろん田中さん以外に、福井謙一さん他の3人も化学者についても、田中さんほど詳しくないにしろ、一通り述べられています。

 またノーベル化学賞受賞者ではないですが、物理学の江崎玲於奈さん他物理学受賞者や、高輝度青色発光ダイオードで有名になった中村修二さん、今後ノーベル賞が期待される科学者などについても触れています。

 化学賞以外の湯川秀樹さん、朝永振一郎さん、江崎玲於奈さん、小柴昌俊さんの業績もある程度知っていたので、私にとっては、この本は、今までの日本の科学系ノーベル受賞者の業績の復習をする意味でも(ただし物理系はやはりあまり詳しく書かれていませんでしたが)、いい本でした。

 ただし私は福井謙一郎さんについては、この本を読むまであまりその業績を知りませんでした。受賞理由は、化学反応におけるフロンティア電子理論(またはフロンティア軌道理論)とのことですが、量子理論の考えを化学の中に持ち込み、それ以前まで一世風靡した「ロビンソンの電子説」にとってかわった話を読み、非常に興味を覚えました。そのうちもっと詳しい本を読んでみたいと思ってます。

 また田中耕一さんを育てた島津製作所の企業風土やその歴史に、非常に興味がわきました。島津という名と丸に十文字だから薩摩の島津家と親戚かと思いましたが、縁戚関係はなく、ただし先祖が島津義弘に尽くしたので、その名を賜ったことをはじめて知りました。

 島津製作所の基を築いた初代源蔵と二代目源蔵の親子鷹の話は、まさに日本のエジソンともいえる話でした。初代が、西南戦争当時、政府から頼まれ薩摩軍に包囲された熊本の政府軍との連絡のために、気球製作を依頼され、間に合わなかったが、水素気球を成功させた話。レントゲンがX線で世界初めての写真撮影を行った翌年に、もう日本初のレントゲン撮影に成功した話。日露戦争当時、バルチック艦隊を発見した際「艦隊見ゆ」の無線を打った無線用蓄電池も二代目源蔵の作品だったという話。

 大正時代に産業用大型据置蓄電池用の電極のための「易反応性鉛粉製造法」を発明し、世界的大ヒットとなったという話。そのほかにも、この会社から日本電池、大日本塗料株式会社、日本輸送機株式会社などがが生まれたという話や、日本最初の扇風機、電球、自動車用エンジンなどは皆島津製作所が作ったという話は驚きであった。

 「科学技術で社会に貢献する」を社是とし、研究開発に何よりも重きを置く創業以来の企業風土が、田中さんの能力をつぶすことなく発揮させ、ノーベル賞につながったのだということがよくわかりました。田中さん自身、他の会社だったら、こんな仕事はさせてもらえなかっただろうし、つぶされただろうと言っている。今後も世界をリードする先端技術力を保ち続ける日本でありたいなら、日本のメーカーのあり方など考える上で非常に参考になるはずだ。

 お薦めの一冊です。

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