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書評(平成19年06月14日)

『覚悟の人−小栗上野介忠順伝−』
(佐藤雅美著・岩波書店)

  私は歴史上の人物で好きな人物が何人かいる。小栗上野介忠順(ただまさ)は、好きな度合いでいうと、蜂須賀小六、高杉晋作と並んで、三本の指に入ると思う。最近、NHKなどで、彼を主人公にしたドラマなど、何度か採り上げられ注目を浴びている。現在の世相を思うと、何だかわかるような気がする。

 最近世の中は、卑怯な人間が非常に増えた。故新田次郎(作家)の次男にあたる藤原正彦氏(数学者、エッセイスト)が、世相の乱れや、学校でのいじめをする子供など増えた主な原因に、卑怯を憎む日本人の倫理が廃れたことをあげているが、私も全く同感である。近頃は破廉恥な事件が多すぎる。また陰湿なイジメなど行う卑怯な子供が増えたと思う。本当に日本はどうなってしまたのだろう。社会が狂ってしまったような感じだ。

 昔の武士は卑怯と言われることを、死ねと云われるのと同等の恥とした。ルース・ベネディクトも『菊と刀』で、武士道における恥の概念が、日本の倫理観形成に高く寄与していることを評価していた。(そもそも活字離れがかなり進んでいるから、大学生でも『菊と刀』、ほとんどしらないかもしれないなー。)

 話が少し最初からずれてしまった。この本のタイトル、覚悟の人とは、勿論小栗上野介のことである。卑怯未練なことが大嫌いで、クビになることなど一切恐れず、たとえ相手が上司であろうと、いやトップである将軍と対立することであろうと、言うべきことはきちっと言う。実際何度も重職につき何度も辞めさせられている。大好きであるし、私の理想像、鏡である。

 私が、小栗上野介の人となりをある程度知ったのは、これまた佐藤雅美氏の『大君の通貨』で今から20年ほど前である。あの作品も、この本の内容とかなりダブル部分はあるが、あれは幕末の円ドルが中心であった。今回この本を読んであらためて、あの当時の外貨(メキシコドル)と円の両替の問題から起きた事件を改めて深く勉強でき良かった。

 小栗の優秀さを示すよく出てくる逸話としては、上記の渡米の際、アメリカで行った円ドル問題の打開のための折衝の話。それに横須賀造船所を着手した話、それに鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜が江戸城に逃げ帰ってた後唱えた徹底抗戦(幕府海軍を使った洋上からの艦砲射撃)の主張とその戦略などであろうか。先にも述べたかが、彼は勘定奉行、外国奉行など様々な重職を何度も就いては何度も辞めている。これだけ公職に何度も復職しているのは、彼をやめさせても、財政の事など苦境に陥ると、彼以上に適任者はおらなかったからだ。
 幕末の第一級の幕吏、第一級の人物といって間違いないと思う。

 彼と対比して、卑怯未練な人物として、徳川慶喜が出てくる。また彼と不倶戴天の敵として勝海舟が出てくる。私も、勝海舟が大嫌いである。大法螺吹きで、他人の功績さえ自分の功績のように吹聴したりしているし、卑怯というか裏切り行為が多い。
 また徳川慶喜も、著者が言うように、よく考えてみれば非常に卑怯未練な人間である。私は慶喜に関する本も何冊も読んでいるが、彼が輝きを見せた場面も、よく調べてみると、そのほとんどが平岡円四郎ほか彼の右腕3人(というか3度変わった)の助言によったものである。実力以上に英邁といわれたように思う。この本を読むと、慶喜がいかに自分をよく見せようし、また都合が悪くなると責任回避ばかりしていたがよくわかる。

 小栗上野介は、上野国(群馬県)の権田村に退去した後、反逆の企謀の疑義の使者を受け、一旦使者はその恐れなしとして帰るが、その後の展開で捕まりそうに会津に逃げようとする。しかしその途路権田村の名主がやってきて、小栗がこのまま立ち退くと村の者が何ゆえ見過ごしたかと責められ難儀するから帰ってくれと訴えられると、卑怯な真似のできない小栗は、妻子は逃がしたが、自分は殺されるのを覚悟で帰るのである。
 結局権田村に帰った小栗ほか主従は、捕らえられ何の詮議もなく、予想通り斬首され42歳の生涯を終える。

 悲しい結末だが、今に至り彼の生き方に注目が集まるのは、現在の日本において、最も望まれるタイプの人間だからではなかろうか。是非とも多くの人に読んでもらいたい一冊である。
 ここ数年、この本の他にも小栗上野介を主人公とする小説も何冊か出版された。私もそれらの本をできるだけ多く読んでみたいと思っている。

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