このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成19年06月15日)

『一本の道』(平山郁夫著・講談社文庫)

  この本はあの有名な平山郁夫画伯が書いた本だ。回想記的な本で、非常に平明な文章で率直というか赤裸々に過去を語り、挫折しながらも、テーマをみつけ今にいたった軌跡を語っている。 

 画家になりたかった叔父の薦めを受け入れ、東京美術学校に入り日本画科に進んだ平山氏だが、周囲の者の技量を知るにつれ、自分の絵の技量のなさを悟る。学校を退学したくなるが、谷信一という先生に説得され、絵の道を続けることになる。
 卒業後は、有名な前田青邨を師とあおぎ、学校の助手などをしていたが、やがて30歳を迎える年になっても、自分の絵に納得がいかず、悩む。画業の行き詰まりの他、生活にも行き詰まり、原爆の後遺症からくる不安なども感じるようになる。

 しかしそのような不安の状況の中で、かえって今まで古典の勉強--仏教画とか絵巻物を学んでいたことから、ある時「仏教画はどうだろうか?」という考えがおこった。自分が求めた“平安”、“救い”は、この仏教の世界で、生産的、創造的、そして建設的にありたいと願い、テーマがみつかり、この時から活々と生き始めるようになったという。

 昭和34年9月の、第44回院展に出展した「仏教伝来」が、川北倫明氏により朝日新聞で評価を受け、自信を持つ。その後数々の仏教画を描く。ヨーロッパへの留学などを通して、西洋美術の圧倒的な力との精神的な戦いを通して、釈迦が魔性に打ち克ち金剛心を樹立したように、大きく成長する。

 仏教伝来についても、頭の中で考えるだけでなく、実際にその地や道筋を、見てみたい感じてみたいと考え、シルクロードやインドなど旅行に出かける。それにより仏教が峻険や砂漠を超え、長大な時間と距離を乗り越え、仏教誕生から約500年の歳月を経て大和にたどり着いたことに気づき、そのエネルギーの逞しさに感動する。そういった体験を通して、平山氏独自の釈迦像など仏画の世界を築いていく。

 平山氏が描く釈迦像は顔がないと、よく言われ質問されるという。顔が無いのではなく、ぼんやりとしか描かないという。普通、仏像や仏画は儀軌(ぎき:形式のきまり)があるものだが、そうしたきまりきった仏像や釈迦像を描くのではなく、自分自身の気持ちを描く、釈迦像・仏像を自由無碍に描きたいそうだ。

 仏教自体、インドの古い体制に対するプロテスト(抗議・抵抗)という形で起こったといい、釈迦像の表れ方をたどっても、もともとは釈迦像など仏像は無く、象徴的なものだけが礼拝の対象であった。ギリシャ文化との遭遇を経てガンダーラ文化で初めて仏像が作られることになるわけだが、ガンダーラ様式の仏像、その後のグプタ様式の仏像も、日本に伝えられた様式の仏像とはかなり違う。

 つまり平山氏は、仏教、釈迦、仏像というものは、最初から新しい儀軌が存在した訳ではなく、本来、自由なものだったといい、平山氏は自分なりの釈迦を創造し、描いているという。ただし儀軌に則った仏像や仏画を否定しているのではなく、その美しさ、奥に秘められたものに感動することによって、自分の描く仏も磨かれ、画業にも大きく影響をうけるので、文化遺産としての仏たちを仰ぎ見ることを、重要な1つの仕事としているとも述べている。

 そして、仏像を見ることも、人生を考えることも、世の中の様々な出来事をみることも、全く同じことであり、仏を仰ぎ見ることの深い意味・有意義さを訴えたりもしています。仏像を仰ぎ見て、「ありがたいお顔だな」と感じるだけで、意味があるという。仏の前で謙虚になり、心の中で対話することによって、何かの答えが得られるかもしれない。得られないにしても、そうした経験を積んでいくうちに、自分なりの“ものに感じる心”が育って、それが自分の人生を豊かにしてくれると述べています。

 これだけ色々紹介しましたが、実はこの本は、平山氏の釈迦像などの仏画を豊富に掲載して、それらも含んでの90数ページなので、ボリュームも少なく1、2時間もあれば十分によめる本です。でも非常にいい本であります。

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