このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成19年07月08日)

『祖国とは国語』(藤原正彦著・新潮文庫)

  この本の中の「国語教育絶対論」の箇所は昨年読んでいたが、その他の、ショートエッセイ集「いじわるにも程がある」や「満州再訪記」はまだ読んでいなかった。
 今回は、既読の「国語教育絶対論」から再度読みはじめ、最後まで読み通した。

 「国語教育絶対論」はあのベストセラー「国家の品格」とかなり主張が重なる部分もあるが、国語教育の重要性を一番で述べている点では、本のタイトルが一番ふさわしいのかもしれない。
 わが国の劣化しきった体質を、いかに根幹から改善するかに対して、著者は、小学校における国語こそが本質中の本質であり、国家の浮沈は小学校の国語にかかっていると言う。
 また最近の日本の危機の一因は、国民、とりわけリーダーたちの教養の衰退であり、その底流に活字文化の衰退がある。それだけに、国語力を向上させ、子供らに読書に向かわせることが、日本の再生にかかっているという。

 また英語第二公用語論が唱えられる風潮を厳しく批判、英語ばかり授業時間が増え、日本語教育がおろそかにされる事に対して、断固反対している。小学校における国語と他の教科間の重要度は、「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下なのである」と言う。

 教育における子供への阿(おもね)り、子供中心主義は、文部科学省や日教組をはじめ、全教育界を覆っている熱病だと断言、子供への迎合に過ぎないゆとり教育を痛烈に批判する。
 国語だけでなく、算数などで、円周率は3とする、教科書の叙述は、犯罪行為だと述べる。
 また最近の世界的な理系離れの傾向の原因を、我慢力不足と指摘、その我慢力不足は、読書離れの原因だとも言う。
 まだまだ紹介したい言葉は山ほどあるが、とてもありすぎて書けない。

 「いじわるにも程がある」は、発見を重んじる精神と卑怯を憎む心が二本柱になった名エッセイ集である。藤原家の子供の発想や観察力を育て、親子間で論争し論理を育てる環境・雰囲気が何ともうらやましい気がした。

 「満州再訪記」では、著者の生まれ故郷である。小説家として有名な新田次郎は、戦前は気象庁の役人で満州の首都新京(現在の長春)に家族とともにいた。8月9日の終戦間近、ソ連軍の突然の南下で、当時子供だった著者は、母の藤原ていに(兄、妹とともに)連れられ、1年をかけて満州から日本へ帰ることになる。母の元気なうちに、その満州を訪問しようということになり、著者の家族と、母(藤原てい)、そして著者の妹などと訪れた時の旅行記だ。

 昔住んだ家や思い出の地を、短い旅の期間のうちに何とか見つけてたずねようとする著者に、過去を振り返り、自分探し、自分の根源を問い詰めるような姿を見、共感を覚えた。藤原家の歴史を通して見た、日本近代史大変勉強になった。
 関東軍は、戦争を引き起こした張本人でありながら、ソ連軍の南下に大しては、その情報を一般民には一切教えず、開拓民を置きざりにして一の先に逃げたという。ある程度は聞いて知っていたが、今回改めてこの本で聞き、関東軍の卑劣さに怒り心頭にきた。その他にも満州国とは何だったのかとか、ソ連の卑劣さなど、あらためて色々と教えられた。
 ここの再訪記も、戦後世代の人に是非とも読んでいただきたいと思う。

 勿論、是非とも皆様にお薦めしたい1冊であります。

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