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書評(平成19年07月11日)

『シュンペーター〜孤高の経済学者〜』
(伊東光晴・根井雅弘著・岩波新書)

 この本は、先日ブックオフで何と105円で買ってきた本である。勘違いされている方も多いと思うが、私は実は、学生時代某大学で経済学を学んでいた。(詳しくいうと政治経済学部経済学科卒である。政治学科と経済学科があったが、この政治経済学というのは、政治+経済という意味でなく、Poritical Economicsの和訳だから、政策的経済学とでも言おうか。)

 1,2年の教養ゼミでは数理経済学を学び、3,4年のゼミでは日銀出身の先生のもとで金融経済学を選考した。大学に入ってから勉強が面白くなり、社会学、経済思想史および経済学史、西洋経済史、西洋史など、それから経済とはあまり関係のない、心理学・精神分析学などの本を沢山読んでいたが、実のところ、金融論はあまり興味を持っていなかった。周りの雰囲気というか、ある先生にこれからは金融の知識が重要になるから貨幣循環論でもやったらどうかと言われ、金融経済学のゼミに進んだのだ。今思うと、やはり興味のある方面へ進めばよかった思う。失敗だった。

 そういう訳で3、4年のゼミでは、金融論を専攻した。が、ケインズ学派の先生のもとでのケインズの思想の押し付けになじめず、輪読以外の自分のテーマは、金融とは少し離れ、数理経済学的分析を選び許してもらった。論文は、行列、微分積分などなど数式だらけ、先生を煙に巻き、干渉をなるだけ少なくした。確かタイトルは、レオンチェフの多部門オープンモデルによるハロッド=ドーマーの成長理論の検証、とかだったと思う(卒論の控えをとってあったのだが、紛失してしまった。)

 私が興味を惹かれた社会・経済学関係の学者は、マックス・ヴェーバー、ジョン・スチュアート・ミル、カール・バルト、ラインホールド・ニーバー、シュンペーター、J・K・ガルブレイスなどであった。(後はほとんどマルク・ブロックなど歴史学者)
 社会思想史や経済学史・経済思想史などを読みながら自分の興味をもった思想家を見つけ、その後その人に関する本を探して読むというパターンである。
 だから私は、大学で遊んだという気は全然無い。当時でも珍しい勉強熱心な超真面目学生であった。

 大学卒業後10年ほど結構経済・社会学関係の本を読んでいたが、最近は、それらの関係の本は年に数冊程度。以前勤めていた会社が電気メーカーの上、高校時代普通科理系クラスということもあり、会社時代某技術者の資格も得、帰郷後は、家の仕事を継ぎ、今では完全に技術者(しがないブルーカラーだが)になってしまった。

 私ごとの話が長くなってしまった。
 さてこのシュンペーターだが、私は学生時代からかなり興味を持っていた。この本には、マックス・ヴェーバーと真っ向から意見が対立した事が書かれていたが、私はそれでも両方の思想家に魅力を感じる。私が双方の思想を実のところまだよく理解していない事を示すようだが、私自身実際矛盾が多い人間だからだと思う。人間結構こういうものではなかろうか。

 またシュンペーターは、ケインズを非常に理解していたが、それでも彼に非常な敵意を持っていたという。世界最高峰の経済学者という称号を得る名誉を奪われたせいかもしれない。私の大学生の頃は、ケインズとシュンペーターの生誕百周年(1983)という年も含んでいたので、シュンペーターに関する本も色々出回り、結構多くの感心を集めていた。私もそして、彼の造語であるイノベーションを軸とした動学的な経済発展理論や、景気循環論、それに資本主義崩壊論には、大いに影響を受けたと思う。

 当時大学では、フリードマンを中心とするマネタリストと、ケインジアンの間で激しい論争が繰り広げられていたが、私には、実のところ両派は似た者同士に思われた。今でもケインズは、マネーゲームを惹き起こし、先物取引などのあのデリバティブなどという化け物みたいな金融商品を生み出した経済思想のルーツだと考えている。

 ケインズを認めない訳ではない。私もシュンペーター同様彼を高く評価する。ケインズ革命なくして現代経済学は考えられないであろう。彼自身相場師的才能にたけていて、株でぼろ儲けしていたようだが、そのような市場をよく分析できた才能から導き出せたケインズ理論ではなかろうか。私には相場師的分析が拭えないように思え、それが徐々に本性を見せ、今の市場の均衡などあまり意味が無いマネーゲームの金融市場を生み出したような気がしてならない。
 
 どうも最初から本の紹介というより、私の思い出話を中心とした余談ばかりになってしまった。
 再び軌道修正する。、後半はシュンペーターについて述べたい。

 シュンペーターは、資本主義のエトス(倫理)は企業者の技術革新による動態的な発展過程であると考え、その観点から、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』の短期的、静態学的観点に立った分析を批判した。

 ケインズの理論は、社会全体の有効需要を操作するものに他ならず、肝心の供給構造の質的変化、つまり技術革新の側面を不問にしていると。
 またケインズは政府は社会全体の利益を考える知的エリートによって政策決定が行われると甘い考えを示しているが、シュンペーターは“公益”なる天高く雲の上に鎮座まします“国家”は、形而上学的な実体で、“でっちあげ”のものだと言い、「政治政策は他ならぬ政治家の利害から理解されねばならぬという、これまた全く自明のはずの事実に目を蔽い続けた」として批判し、逆に「国家というものを雲の上から引きずり下ろして、現実的な分析の対象にまで持ち込んだ点こそ、マルクスの重要な科学的功績であった」として、社会主義を支持する訳ではないが、マルクスの業績を高く評価したりした。

 シュンペーターはまたワルラスの一般均衡論も、私事した。処女作「理論経済学の本質と主要内容」を割るラスに謹呈し、自分は一度もあなたにあったか事はないが、あなたの弟子ですと手紙を添えて書き送っているし、彼の大学の講義でも、自分の研究の出発点はワルラスだとよく述べていたようだ。

 シュンペーターの事を紹介しようとすると、あまりにも多くの事を書きたくなるので困る。我慢して端折る。
 シュンペーターは、当代一流の経済理論家であり、1937年には計量経済学会会長(1941年まで)、1948年にはアメリカ経済学会会長、また死の直前には国際経済学会会長にも選出されたが、理論を数式化することを拒否した。方程式体系によって、過去が現在を決定し、現在が未来を決定するという軽量経済的モデル分析を受け入れなかった。勿論数が苦手だったとかそういう事ではなく、ベルグソンの哲学などから受けた影響が、彼に経済学者として真摯な態度からそうさせたことなどが、この本を読んでみるとわかる。

 また彼は、オーストリアの大蔵大臣を務めたり、銀行頭取を勤めたりもしたが、一時だけで、他は政界や経済界と離れ、孤高の経済学者としての生涯を送った。人間シュンペーターは、経済学者としては早熟の天才であったが、薄幸の人生であったように思う。二番目の妻を亡くした後の妻の日記を長い間、自分の日記に書き写していたという彼のエピソードなどは、非常に弱々しい内面を持った人間臭さをみせて好感が持てた。

 とにかくシュンペーターを知るには、コンパクトにまとまっていて手軽で非常にいい本です。お薦めの一冊ですので、興味をもった方はどうぞ一度読んでみられてはいかが。

(追記)
 我が家には、上に記したような事情で実は、経済学関係の本なら山ほどある。最近経済学の知識もほとんど忘れてしまったような気がする。今後は、経済学を学び直すという意味でも、また書籍購入費を節約する意味でも、時々こういった本を採り上げていこうかとも考えている。

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