このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成19年07月17日)

『意識の進化とDNA』(柳澤桂子著・集英社文庫)

 生命科学者として活躍していた著者が、難病を発病後、研究者としての再起不能となり車椅子での生活を送る。それ以来、研究者時代には無かった、見知らぬ人から声をかけられたり、親切な扱いを受けたりした。そして「無限小は無限大」であると悟り、欲を捨て、心を無にしていくことにより、愛や勇気、力が満ちてくることを実感。研究は出来なくなったが、病床の中で思索を深め、科学知識と精神世界の融合を試みる。そして著者は「「本来の自己」とは、三十六億年の歴史を背負ったDNAであると考えるに至った」と言う。

 生命科学の分野では研究が分子レベルで進んでいる。人間は何かということを36億年の生命の歴史、あるいは150億年の宇宙の歴史というスケールでとらえ直し、“私”とは誰なのか?愛や感動、神とは何なのか?DNAの仕組みと精神の関わりを、小説の形式を用いて、ある男女の語らいを通して、説き明かすのがこの本である。

 たとえば「集合的意識と無意識の進化」では、フロイトやユングの心理学の話もとりあげる。ユングは、人類誕生後の抑圧された意識を無意識と考えた。集団的無意識とは、「一人ひとりの人間の頭の中には、個人の記憶のほかに、膨大な量の原始時代から存在するイメージがある。人類の記憶に残っていないような大昔から心に刻まれてきたイメージを、意識する可能性が遺伝する」という考え。このユングの集団的意識の考えを、脳の進化と比較して、大概において正しいと判じ、私たちの脳の中に、「魚も鳥もワニもウマもみんな同居している」事を紹介する。そして主人公の一人・隆の言葉を通して「一人ひとりのもつDNAがその人の“本来の自己”であり、他の人々との共通部分が集合的無意識ではなかろうか。これが僕の仮説です。」と言う。

 自己と非自己の区別の無い一次過程の認識から、視覚が発達し、言葉が使えるようになると、自我意識が目覚る。しかし芸術などを心理学的に見ると、それは論理性を超越した認識である。一次過程の思考は、36億年の歴史を突き動かす強い力を秘めており、野性的で動物的でもある。そこに論理的な二次過程の認識の“篩(ふるい)”をかけ、一時過程の認識に客観性と倫理性を与えたところに新しい認識方法である三次過程の認識が生まれる。それは超言語的な認識方法で豊かな芸術にもつながるイメージを想起させる。このような認識がさらに進むと、自我は完全に超越され、自己と非自己の区別の無い、本来の自己と一体になった状態に至るだろう。それは一次過程への逆行ではなく、二次過程の認識によりさらに進化した全的な認識方法であり、これが完全に成就されたものが悟りだ、という。

 そして、この三次過程の認識に至るには、自我を乗り越えることであり、それにはまず、執着を絶つこと、そして、自分の内なる自己の声によく耳は傾けることだという。私たちの中に本来のエネルギーが理性によって抑圧されている。名誉とか、富というものを離れて、静かに自分の内面の声を聴くと、そこから湧き上がってくるエネルギーが感じることができるという。執着を絶ち、自己中心性を少しでも超越することが必要だが、それが成熟ということである。そうした生き方に、生きることそのものが芸術になり、宗教にもなり得ると著者は言う。

 読んでいて科学の本というより、生命科学から得られた知識によって語られた宗教哲学のような感じの本である。また本の巻末には、人類の起源、体内における情報の伝達のしくみ、36億年のいのちの歴史を記すDNAの仕組みなど詳しく説明した補注が添えられております。

 たった200ページほどの文庫本の中に、生命に関わる深い内容を、男女2人の語らいの中に平易に説明した稀少な本といえましょう。勿論お薦めの一冊です。

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