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『ルネッサンス〜再生への挑戦〜』 (カルロス・ゴーン著・ダイヤモンド社) |
先日ブックオフでたった105円で買った本である。 非常に面白くて2日間で一気に読めた1冊であった。今までにも経営者が書いた本は何冊も読んできた。そういった本の中では、ソニーの創業者の一人・盛田昭夫氏の「Made in Japan」以来の面白い本だった。あの本も、ソニーの歩みを書くと同時に、一面盛田昭夫氏の自伝のようになっているが、この本も、ゴーン氏のマネジメント・スタイルを述べた本であると同時に、自伝とも云いえる本となっている。なおかつ翻訳書であるにもかかわらず、「Made in Japan」と比較すると、事例が細かすぎることもなく、平易で読み易い。 (断っておくが、私は日産の回し者ではない。日産とは何の関係も無い。今とその前のマイカーはトヨタであったが、 ゴーン氏はレバノン系ブラジル人とよくいわれるが、国籍はフランス人である。この本は、ゴーン氏のルーツである祖父の事から語り始められる。彼の祖父は、わずか13歳の時レバノンから単身ブラジルへ渡った。そこで食うために色々な仕事しながら必死に働き、そのうちに農産物のブローカーとして成功。さらにはその頃アマゾンで徐々に広がりつつあった航空網に眼をつけ、航空会社へのエマージェンシー、コンサルタントを行う会社なども立ち成功する。祖父の息子、つまりゴーン氏の父は、その航空網を広げる仕事の一部を祖父から引継いでいた。そして同じレバノン系のフランス人の女性が結婚して、カルロス・ゴーン氏が生まれた訳だ。 ゴーン氏は、幼い時はブラジルにいたが、その後子供時代は父母の祖国レバノンに引越し10年程そこで暮らす。高校もレバノンのノートルダム・カレッジを卒業した。その後フランスに渡り、エコール・ポリテクニークで学ぶ。卒業間近にミシュランから誘いがあり、卒業と同時にミシュランに就職した。ミシュラン側は、初任として研究開発部門(R&D)への配属を勧めたが、ゴーン氏は断り、製造部門への配属を希望する。 ゴーン氏は本の中でこう述べている。 「教科書を読んだり、実験をしたり、7年もの間学生として暮らしてきた私は、そろそろもう少し実践的な事を学びたいと思い始めていた。製造分野はそれにうってつけだった。 会社の全体像を手っ取り早く知るには製造部門は恰好の場所だと思った。工場労働者や技術者、スーパーバイザー、マネージャーなどさまざまな職務に携わる人々を観察することができるからだ。実際、後に工場労働者として経験を積むにつれて、製造部門こそ、現場からトップ・マネジメントまでの会社全体の仕事や問題を把握するのにうってつけの場所だということを学んだ。」 実は、私も大学の経済学科を卒業後、電機メーカーに就職した時、皆が企画や営業を希望する中、製造部門を希望した。ゴーン氏と同様「会社の全体像を手っ取り早く知るには製造部門は恰好の場所だと思った」からであった。そして希望通り、大型回転機(発電機&モーター)工場の製造部生産管理課に配属された。2年後営業に転属させられたが、この時得た知識や会社組織の把握、さらには技術者や製造ラインの人たちと深い信頼関係を築けたことがその後大いに役立ったのを思い出す。 話を本に戻す。ゴーン氏は、ミシュランのル・ピュイという工場の一労働者からスタートする。そして実際労働者達の実態や管理体制の欠点を色々知る。2年後、同工場の工場長に抜擢され、成果を上げる。その後、ブラジルの1000%のハイパーインフレにより、ブラジルのミシュランが危機に陥り、ミシュランのトップ、フランソワ・ミシュランの眼にかなったこともあって、1985年ミシュランの南米事業を統括するCOO(最高執行責任者)に抜擢される。 ゴーン氏はここで、問題点がどこにあるかを探すためクロス・ファンクショナルという方法を用いる。会社内のあらゆる部門の人が集まり、意見を交わすという、職務を超えて問題解決に取り組むという手法を用い、問題点を見つけた後は、打てる手は全て打ち、改善に全力で取り組む。そしてついには黒字化に成功する。全ミシュラン内で最高の利益率を上げる。 1988年、今度は北米のCEO(最高経営責任者)としてアメリカへ赴任。アメリカの企業との合併が文化の違いなどからうまくいかなかったり、経営もうまくいっていなかったのを、それもまた改善し、ここも黒字化に成功する。 その後、フランスに戻されるが、その頃ミシュランでは、フランソワ・ミシュランの息子で後継者であるエドワール・ミシュランへの引継ぎの準備が着々となされていた。ミシュランは同属企業であっのだ。よってそんなに遠くないと予想される社長交代時、ゴーン氏は追いやられる可能性があった。ゴーン氏は悩み、その頃ヘッドハンターからの誘いを受けたこともあり、自動車メーカーのルノーに転職した。 ゴーン氏は、ルノーのNo.1の地位にあるルイ・シュヴァイツァーに次ぐNo.2の地位で迎えられた。ルノーはその頃、国営企業から民間企業への脱皮の途中の段階にあった。国営企業の色もまだ濃く高コスト体質などあり、欧州市場でも行き詰まり状況にあった。ボルボなどとの提携も失敗。この状況を打開する人材を求めていたのだった。 ゴーン氏は、ブラジルのミシュラン時代以来とってきたクロス・ファンクショナルの手法などを用いて改革を行い、200億フランものコスト削減に成功し、ルノーを立て直した。 その後、欧州市場での行き詰まりを打開するグローバル化のために、提携のためのパートナー探しを行う。あらゆる自動車メーカーを対象として検討していくのだが、ゴーン氏が当初から日産以外に無いと言っていた、その日産に絞られた。しかし提携会社としてダイムラー・クライスラーというルノーより資本力の大きな会社がライバルとして現れる。しかしクライスラー・ダイムラーは途中で競争から降り、ミシュランが日産と提携することになった。 ルノーは、日産へ6430億円の資本注入することになる。またルノーからCOO(最高執行責任者)を送り込む事になり、ゴーン氏が赴任する。 再建のための時間的余裕が全く無い中、ゴーン氏は日産リバイバルプラン(NRP)を短期間に社内で練り上げ、実行に移す。そして黒字化に成功する。その後もプラン180などを実行・・・・・。 この本のあとがきで、訳者は、この本の2つのキーワードは、「燃え盛るプラットホーム」と「クロス・ファンクショナリティの欠如」だといっているが、燃え盛るプラットホーム状態にも気づかない危機感の欠如やクロス・ファンクショナリティの欠如は、風通しの良い企業出ない限り、社内で意外と気づきにくい問題点だと思う。 私も工場や営業の現場を見てきて、それを会社時代何度も感じた。上層部(会社役員)になるのは、楽に成績を上げられる部署で出世したものではなく、困難な現場を乗り切るような経験を何度もしてきた人になってほしいと思ったものだった。そういう部署を経験してきたものには、経営が順調でない企業にあっては、どうしても上記の2点が見えてくるのではなかろうか。 私は現在日産が、どういう状況にあるのか知らない。ただ最近は必ずしも好調ではないように見える。ゴーン氏は確かルノー本体のトップになったのではなかったろうか。現在たとえ順風満帆状態でないにしろ、あのような危機を一度打開したゴーン氏の実績はやはり稀有のものであったといえよう。 私は、ゴーン氏の現場主義の態度に、本田宗一郎との類似点も非常にあるように思えた。それだけに私と思想が近く、理想の経営者に見えるこのゴーン氏の本は大変面白かったし、為になった。 日本の全ての人にお薦めしたい一冊であります。 |
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