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『親鸞』(真継伸彦著・朝日新聞社) |
この本はもう20年以上も前に出版された本だから、古本屋でないと入手できないかもしれない。親鸞の人と思想を、「歎異抄」(著者の全訳もあり)や「教行心証」などを読み解くことによって説く、評論本である。 私がこの著者・真継伸彦氏の名を知ったのは、いまから7,8年前、 「加賀一向一揆のホームページ」(林六郎光明(HN)氏の運営管理) の中の一向一揆関連の小説の紹介によってである。私が住む能登ではないが、同じ石川県の歴史であるし、一向一揆、親鸞、蓮如・・・といったことには、非常に興味があったので、もしこの著者の本を得る機会があったら、是非一度読もうと思っていた。そして最近この本を入手できたので、読んだのである。 (もっとも上の林氏のHPの中では「親鸞」は採り上げられてはおらず、一向一揆を扱った小説である「鮫」と「無明」が紹介されている) 著者の真継氏は、京都大学文学部ドイツ文学科を出た小説家のようであるが、私は実のところこの著者のことをよく知らない。どうやら昔は、社会主義運動など行っていたかなり左寄りの人のようだ。酒におぼれ荒れた時期もあったようだ。「歎異抄」など親鸞から強い影響を受けた人のようであるが、別に真宗門徒ではない。それだけに親鸞の考えや、その後の浄土真宗の有様などに関して、著者の考えからいって受け入れにくい点は、遠慮なく大胆に批判したりもしている。 著者は、思想的に親鸞に影響は受けたとはいえ、帰依するまでにはいたらず、醒めた眼というか第三者の眼で見ている。そのせいか親鸞の分析は、返って非常に鋭いものがあるように思う。 真宗門徒であり、かなり親鸞の影響も強い私としては、読んでいて抵抗感を受ける箇所もあるが、真宗の弱点とかエッセンスなど、妙に核心を突いた批評が多いので、耐えて黙して傾聴する価値は十分にある本だと感じた。 著者がところどころで指摘している鋭い言葉をいくつか例示してみよう。 「浄土系の仏教は愚者のための教えである。自分がいかに愚かな存在であるかを自覚しないかぎり、この教えには近づけない所がある。その愚かさの自覚のためには、高い知恵の自覚がもとより必要である。それは救われた境地があるのを知ってはじめて、自分がいかに救われがたい人間であるかがよくわかるのと同じである。天上の高さを知って初めて、自分がいかに深淵の底に堕ちこんでいるかがわかるのだが、親鸞た法然や一遍にはおそらく、自分が及び得ないある高いものにたいする、痛切な自覚があったのだろう。」 「これはまったくの私の私見であるが、私には晩年の親鸞を長い孤独な生活に追いやり、それゆえに傑出した宗教思想家に育てあげた動機が、布教にたいする絶望にあったと思われてならない。」 また著者の親鸞や浄土教・真宗などに対する批判的意見が述べられたものとしては 「私はさきに述べたように、仏教におけるこの宿業論をいっさい認めない。釈尊や親鸞の教えも、彼らが宿業論を肯定している分だけ否定する。」 また別の箇所では、貨幣経済の発展から私有財産への執着という個人主義に目覚めた鎌倉時代の民衆は、時代の制約はあるにしても、エゴイズムの解放の中、弱肉強食の世の中を逞しく生き、差別思想を成立させなかった。しかし、「屠沽の下類(殺生および商売を生活手段とするいやしむべき者たち)」などといった親鸞が用いた言葉は、宿業論の肯定した考え方から出たものだが、その後の日本社会に余計な差別意識を持ち込んだと、指摘する。 また金子大栄氏(現代の親鸞の代表的同行者)の、真宗の教えには、この世は浄土に出来ないという理想主義に対する断念がある、という意見に対して、「この世を浄土に出来ないという(金子)氏の意見は正しい。無相の浄土が、有相の世界になるはずがないのだから。けれどもそれが同時に、何も行動できないということにはならない。仏教者は誰でも常に、自由と平等と平和の同時実現を求めて、いささかでも行動するはずである。そうでなくとも真宗行動者なら、葬式や天皇崇拝は親鸞の教えにのっとって間違いであると主張し、教団革新のための行動に出るはずである。」と述べている。 かなり左派的な意見で過激だ。私は葬式仏教になりはてたことに対する意見はある程度受け入れられるにしても、親鸞の考えから導き出されるかのようにいう天皇崇拝の否定は、穿(うが)ち過ぎと思うし、私が読んだ「歎異抄」や「教行心証」の中でそんな事は直接述べている箇所は見た記憶が無い(浅学のゆえんかもしれないが)。 幾つか例示した割には、「歎異抄」や「教行心証」のエッセンスの部分とは少し離れた部分での意見が多かったかもしれない。この著者のそれらの本の解説の仕方は、実のところ非常にうまい。私としては、一部納得のいかない意見も出てきたりしたが、それでも親鸞の評論本としては、五木寛之の親鸞関係・浄土真宗関係の本などよりは、ずっと核心を突いたもの、思想の深淵の底を垣間見せるような本であるように思う。 とにかくこの本を読んでいると、親鸞の革新性、天才性が、非常によくわかる。既存の経典の読み替え、逆説などによって、易行の往生方法を示し、(親鸞の原始的真宗教団のもとではあまり発展しなかったが)その後の真宗の発展のもととなる思想がいかに形成されたかも理解できる。 「歎異抄」(親鸞の言葉を弟子の唯円が筆記したもの)や親鸞に興味がある方は、もし入手可能なら一度読んでみる価値は十分な本だと思う。お薦めの1冊です。 |
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