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書評(平成19年08月03日)

『薩摩スチューデント、西へ』(林望著・光文社)

 タイトルの中の薩摩スチューデントという言葉からまず説明しよう。
 薩英戦争を戦って、攘夷の不可能を悟った薩摩は、1865年(元治2・慶応元年)に島津久光の意向で19名の日本人をイギリスに国禁を犯して派遣した。その薩摩藩派英の留学生(15名)のことを、薩摩スチューデントと呼んだようだ(残り4名は引率役など)。
 (これより数年前に長州からこれまた秘密裏にイギリスへ留学のため派遣された5人がいる。こちらは長州ファイブ呼ばれており、最近映画にもなって話題になった。)

 薩摩と長州の仲は、この薩摩スチューデントの派遣が計画された頃はまだ悪かった。つまりこの2藩は、お互い全く知らずに似たような行動に出たわけだ。比較するとなかなか面白いような気がする。

 生徒として選ばれたのは15人で、他はいわば引率である。引率のメンバーは、新納形部、松木弘安(後の寺島宗則)、五代才助(後の五代友厚)、堀荘十郎。このうち松木は、幕府派遣の使節に同行して一度洋行している。また洋行とまではいかないが、五代などもこれ以前に上海と薩摩を何度か行き来した事があるらしい。

 生徒の中には、森金之丞(後の外務卿・初代文部大臣・森有礼)、松村淳蔵(後の海軍中将)、畠山丈之助(畠山義成・東京開成学校(東京大学の前身)の初代校長)などになった人物などがいる。
 この19名が、グラヴァー紹介の手代のライル・ホームというまるで添乗員のようなイギリス人に案内され、イギリスへの船旅をする訳である。

 この本は、巻頭から全体の2/3強程までは、元治2(慶応元年)3月末に、薩摩の羽島浦からイギリス船に乗って、イギリスに向けての航海に出て、イギリス到着までの旅の見聞記のようになっている。残りの1/3で、同年6月末にイギリスのロンドンについてから、(夏休みに入る少し前の時期だったのので)ユニバーシティ・カレッジが始まるまでの、2ヶ月ほどのイギリスでの生活や見聞が描かれている。

 よってこの小説では、特に主人公というものはない。いわば19人全員が主人公だ。
 イギリスまでの旅の途中、香港、シンガポール、ペナン島(ジョージ・タウン)、ゴウル(セイロン島(スリランカ))、ボンベイ、アデン(イエメン)、スエズ、アレキサンドリア(スエズからアレキサンドリアまでは蒸気機関車の旅)、マルタ島、ジブラルタルへ寄港し、何度か船も乗り継ぎ、サウサンプトンでイギリス到着となる。

 生徒らは船の中で勉強しながら旅を続けるのだが、途中の寄港地では、ホームに連れられて観光にも出かけたりする。その寄港地で生徒たちは、時には植民地支配者的なイギリスの傲慢さを見たり、時にはイギリスがそれらの港や植民地に建造した施設などをみてその瞠目すべき工業力の偉大な力をみたり、また時にはイギリスが国内や植民地に布いた進んだ制度などに尊敬すべき点を見出したりする。乗船当初には攘夷思想をまだ持っていた者までも、百聞は一見に如かずで、攘夷などできる訳がないと思うようになる。そしてサウサンプトンから機関車で最後の移動を終え、目的地のロンドンについてからは、藩父たる久光の意をくんで、皆は成果をあげようと益々心を引き締める訳である。

 私として面白かったのは、彼らが航海の途中立ち寄った寄港地などで、生徒らが驚きを率直に著した見聞記である。宮殿のような豪壮な高層建築に驚いたかとおもうと、パイナップルや椰子の食べ物に驚いたり、かと思えばアイスクリームなどの食べ物のみならず、そういった製氷技術に驚いたりもする。地下ガス配管をめぐらしたガス灯設備、ボンベイの巨大な浄水施設、巨大な浚渫機械などを駆使したスエズ運河の建設現場、各港の堅固な城塞施設、電信技術、・・・・寄港地で見た様々な事物が驚きの対象となり、興奮の連続であったろうと思う。またロンドンにやってきてから見た、蒸気農機具、テムズトンネル・・・・などの話も、私自身興味深く感じたほどであった。

 この本が描くのは1世紀半くらい前の話だ。しかし私みたい能登の田舎に住んでいる者なら、タイムトンネルでその時代に行って彼らと一緒に、それらのものを見ても驚いたかもしれないと思った。たとえばあの当時、海水を浄化するプラントが既に(アデンなどに)あったというのも、私としては非常に驚きであった。

 ところで、この薩摩スチューデントたちは、結局は大学の授業が始まって1年もしないうちに、藩の財政難や諸々の事情でバラバラに分裂し、ミッションを終えることになる。いわばミッションとしては失敗に終わったのだ。そしてその後のスチューデントたちの人生行路は、明暗様々である。
 長州ファイブと比べると、薩摩の方は人数は3倍だが、長州ファイブの中に伊藤博文や井上馨などがいて、他の3人(山尾庸三、遠藤謹助、野村弥吉)もそれなりに業績を残したことを考えると、長州ファイブの方が薩摩スチューデントより成功だったといえるかもしれない。

 この本を読んで知ったことだが、その長州ファイブの伊藤と井上を除いた3人が、(藩主からの仕送りが途絶えて)困窮の状態で、薩摩スチューデントたちの宿へ顔を出し、何と敵対関係にあった者同士が交流するのだ。これは薩長同盟が結ばれる前の事である。イギリスなどの強さや世界の混沌さを見たら、同じ日本人が争う愚を悟った訳だ。そして山尾などは薩摩スチューデントたちの醵金で(見習いに行くつもりの)グラスゴーの造船所までの旅費出してもらったりするほどであった。この当時では、長州より薩摩の方が懐具合が良かったということだろう。
 後の活躍はあくまでも結果論である。どちらが成功したなどという見方はしない方がいいのかもしれない。

 本の帯紙に「刀を捨て、髷を切り、洋服を纏って牛肉を食らう・・・。西洋文明に全身を浸しながら、本当の愛国心を見つめ続ける彼ら。世界の発展と混沌を目の当たりし、その体験のすべてを近代日本の形成に注ぎ込む・・(中略)・・森有礼らの若き日々に織り成す青春群像。」と書いてある。読んでいても、彼らがまさに全身を浸して、受けたカルチャーショック、驚き、それでただ恐れるだけでなく、好奇心旺盛に、その体験全て近代日本の建設に活かそうという若い情熱を感じる。

 中韓やインドなど発展途上国に追い上げられ、経済振るわず斜陽気味の当節の日本。精神も軟弱気味になって、このような若々しい情熱をいだくことは難しくなっている。でも旺盛な好奇心と勉強意欲が、今後も変わりなく日本の発展のキーワードになり続けることは間違いないだろう。
 目標とそれに向けての方途を見失いがちな現代、もう一度このような本を読んで、じっくり考え直すのもいいのではなかろうか。
 皆さんに、お薦めしたい一冊であります。

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