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書評(平成19年08月08日)

『大軍師 児玉源太郎』(中村晃著・叢文社)

  児玉源太郎を主人公にした本は、確か2冊目だと思う。以前読んだのは確か古川薫氏の本だったと思う。また彼に関する歴史小説も多く、私も何冊も読んでいる。代表的なところは、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』ではなかろうか。日露戦争関連ものにあっては、どの本も児玉源太郎と乃木希典を対比するかのように描くものが多い。

 古川氏の本では、少年時代というか、元服前の児玉源太郎のことは、あまり詳しく載っていなかったと思うが、こちらはかなり詳しく載っていた。
 彼は、長州藩の支藩徳山藩の藩士で興譲館目付児玉半九郎の長男として、嘉永五年(1863)、つまりペリー提督がやってくる1年前に生まれている。彼の父親は尊皇攘夷派で、源太郎がまだ幼い頃、藩主に上申書を出し蟄居閉門となり、その後まもなく悶死する。その後彼の長姉が婿をもらい児玉厳乃丞となり児玉家を継ぐが、藩の執政で保守派の頭・富山源二郎の暗殺を企てるが、失敗し処刑される。そして一時児玉家は断絶となったようだ。
 
 このあたりの話は、古川氏の本にも載っていたかもしれないが、少年の頃までの話はあまり詳しくなかったと思うので、私の記憶に無い。児玉家は、親藩でも急進派が俗論党(保守派)を追い払った後に、再興されたようだ。

 児玉は戊辰戦争にも参加し、五稜郭などで戦っている。下士官の頃から、その才能を発揮する。戊辰戦争を終え、帰国後、新政府で長州藩と支藩から70人の俊才を選抜して、フランス式調練を受けることになり、児玉も練習生となった。
 その後、源太郎は地元長州藩の反乱や佐賀の乱などで活躍、異例のスピードで出世していく。

 そして西南戦争時には、熊本城にあって参謀として働くが、他の上官や同僚が次々と倒れ行く中、彼は事実上の指揮官のようになり、熊本城を守りぬき活躍する。
 その後も、台湾の総督として赴任、それまで反乱が絶えなかった現地の土着民の統治に成功を収めたり、数々の政府の要職を兼任したり、また日清戦争でも軍師ぶりを発揮するなど、数々の方面でその異能ぶりを発揮する。

 日清戦争後、日露の対立が避けられなくなり、もはや戦争もやむなしという段階になり、児玉に再度陸軍の参謀本部長への復帰の話があった時、降格人事にもかかわらず、彼は進んで、その職を受け入れる。彼自身、軍師役が自分にもっともふさわしいと思っていたのだろう。

 日露戦争は、帯紙の宣伝文にも書かれているように「新興国家・明治日本が、存亡を賭けて戦った「日露戦争」。国力において、あらゆる面で優るロシアとの戦いは、“敗れて当然、勝つのは奇跡”とまで言われ、日本にとってはまさに、乾坤一擲の大勝負であった。」
 児玉は、「その陸戦における参謀本部の頭脳として、“奇跡実現の演出”を行なった男」であった。
 彼のような軍師がもし日本にいなかったら、日露戦争は行えなかったか、行ったとしても高い確率で敗北したのではなかろうか。それを彼は短期決戦なら勝算ありとして、実際勝利にまで導いた。

 旅順の攻略で、乃木将軍が、夥しい犠牲を払っても、相手陣地の攻略がままならなかったのを、彼が指揮すると、まもなく戦局が転回し、とうとう旅順のロシア軍を降伏させたのは有名な話である。また奉天の戦いなどでも、苦戦の中、状況をすばやく見定め勝ちにつなげたのも、彼の指揮が大きくものをいった。

 まさに「児玉源太郎の天啓とも言うべき智謀の生涯」であり、この小説はそれをを鮮烈に描き上げている。
 ただ私がちょっと不満であったのは、日露戦争や西南戦争などで、細かく地名や砦、陣地などを書いている割には、略地図などが少なく、文章だけではなかなか配置図などイメージするのが困難で、不親切に思えた。
 また小さな出版社から発行しているせいだろうか、明らかな誤字があり(私が見つけただけで4箇所)見つけ、少し気になった。

 これらを度外視すれば、まあまあの歴史小説といえる。
 本巻末の解説にもあるように、この本では、その指揮下で多数の犠牲者を出した乃木将軍に対しても、同情の眼で見て、書いている。考えてみれば乃木将軍も、悲運の人であったと思う。一部の乃木批判を受け入れ鸚鵡返しに批判するのでなく、乃木の生涯も多角的に見る必要があろう・・・などと個人的に色々と再考させられた。読む価値は十分にある。

 この下手糞な紹介文を読んで、それでもこの本に興味を持たれた方へ。この本は、もう絶版だが、PHP研究所から、文庫本として再販されているようなので、そちらで入手することをお薦めします。

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