このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成19年08月13日)

『二重らせんの私—生命科学者の生まれるまで—』
(柳澤桂子著・早川書房)

  柳澤桂子さんのエッセイの代表作の1つである。

 1938年に東京に生まれた彼女は、幼少の頃から生命に対する感覚が人一倍繊細で敏感な少女だったようだ。私は彼女の幼少の頃の回想を読んでいて、レイチェル・カーソンをふと思い浮かべ、“似ているな”と思った。私も小さい時から生命とか自然には非常に関心が深く、自分ではナチュラリストだと思っているので、共感できる部分が多かった。

 その後彼女は、中学校、高校と生命への興味をさらに募(つの)らせる。ただし教科書による授業の、解剖学的に説明して名前をつけるところまでで終わってしまうあり方には失望してしまう。彼女はその奥にある神秘に触れたかった。それで高校時代から大学の教科書などを読む。卒業が近くなると、その頃はまだ非常に珍しかった大学への進学を希望。御茶ノ水大学の(学部?)植物学科に入学する。

 高校までの教科書や授業には失望した彼女だが、高校のネギさんという教師が言った言葉が心に残っているという。
 「人間というものは、ものごとが発見された順序で説明されたときに、一番理解できるものだよ」という言葉だ。
 私もこれとほぼ同じ言葉を、駿台予備学校にいた時、言われ、予備校・大学時代と非常に役に立った記憶がある。数学、科学、経済学など学史的に読んで(解いて)いくと非常に理解しやすいのだ。ちょっと横道に逸れてしまった。

 この時代は生物学が脅威の発展をしていた時代だった。DNAが遺伝子を載せているものであることが解明され、1953年には二重螺旋の構造がワトソンやクリックによって解明されている。その後分子生物学や遺伝学は長足の発展を遂げるわけである。

  大学に入った彼女は、益々生物学にのめりこむ。実験でみられる結果の美しさ、たとえば細菌のペニシリに対する抵抗性が上昇する際見られる整数比に、魅入ってしまう。
 彼女は教授から押し付けられる卒論のテーマでは納得がいかず、その頃興味を持った過酸化水素の定量法を用いて、大腸菌が過酸化水素に対してどのような抵抗性を示すかを調べてみたいと考え、無理を言って認めてもらう(このあたりも私の卒論作成の状況と非常に似ている。全然人間の格は違うけど(笑))。その頃御茶ノ水大学では大腸菌を使った人もいなかったし、そのような実験をする器具も無かった。つまり指導者もいなかったわけである。
 彼女はそんな中、フラスコなどの器具を自前で買ったり、滅菌が必要な実験道具を自分で拵(こしら)えたり、『微生物ハンドブック』で実験法を勉強したりして、困難を乗り越え、成果を出す。

 彼女は、大学3年時にタケシという夫となる男と婚姻していた。タケシは、婚約の年にニューヨークのコロンビア大学に留学していたので、彼女も御茶ノ水大学を卒業後渡米し、同じコロンビア大学の大学院に入学、生物学のライアン教授のもとで研究を続けることになる。
 コロンビア大学は、生物学関係では古くからの名門で、多くのノーベル賞級の科学者がおり、彼女はそのような最高の環境の中で、生命科学者として成長していくわけである。そして入学応募者60人中、16人の合格者の中に入ったのみならず、最終的にPh.D(博士号)をとった4人のうちの1人となる。それもその中で最初にPh.Dをとったのは彼女であった。そして一人の生命科学者が生まれることになったわけである。

 しかし帰国後、大学や慶大医学部の助手や、三菱化成生命科学研究所研究員として活躍していたが、20年ほどたった科学者として一番脂がのった時期に、原因不明の病気に罹り、研究者生命を絶たれてしまう。しかし彼女は、その後も「生命とは何か・・・」を問い続ける。そして生命科学に関する多くのエッセイを書くようになる。

 上記の粗筋でわかるように、この本は、そんな著者が、生命科学者となるまでの自己の成長過程をふり返り、科学することに溢れかえるほどの喜びを綴る珠玉の長篇エッセイである。またこの本は日本エッセイストクラブ賞受賞をもとっている。
 できれば科学を志す中高校生あたりに読んでもらいたい本である。特に女性で理系を目指す方には是非とも読んでもらいたい。勿論、それ以外の方にも、できるだけ多くの方に読んでもらいたい本です。つまり私が皆様に強くお薦したい1冊です。

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