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『社会を見る眼−親鸞を通して』 (久木幸男著・東本願寺) |
今日は涼しく読書にはもってこいの日だったので、暇つぶしに古本の棚からこの本を見つけ出し読んだ。30年近くも前に出版された本なので、おそらく入手困難と思われる。 同朋選書というものの1冊らしい。浄土真宗大谷派(東本願寺)が、私が生まれた年に同朋会というものを設けた。そしてこの本は私が高校を卒業した年に、東本願寺出版部から同朋選書という形で出版されたもののようだ。著者は、別に坊さんではなく、出版当時横浜国立大学の教授をしていた方のようだ。 各章ごとに少し簡単な紹介をしておく。 まず第1章の「教化、社会教化とは何か」。日本では、1923年の虎ノ門事件(皇太子暗殺未遂事件)以来、政府によって行われた思想善導運動により、教化という言葉は、今にいたるまで、非常に悪いイメージで評判が大変悪いという。その原因として、教義注入などという言葉(最近流行の言い方なら思想教育、イデオロギー教育とでも言おうか)の意味のようにとらえがちになっていることが歴史的に語られる。そんな中で清沢満之(きよさわまんし)という人が(どうも明治時代の真宗の偉い人のようだが私は知らない)、独自の考えの教化というものを説かれた話が出てくる。 次の第2章は「親鸞聖人の政治観」で、親鸞をめぐる2つの裁判事件、承元の法難、建長年間の訴訟で親鸞が当時書いた文章に即して、述べられます。結論から言うと、親鸞は、政治あるいは権力、あるいは当時の支配体制に批判的だったが、反権力というような立場ではなく、非権力という立場であった、と著者は言います。自らの権威・力を高め反権力的に批判するのではなく、また決して権力に癒着するとか政治に迎合するとかもしない。明治以降、護国思想の愛国者と誤解されたりもしたが、支配者に阿諛(あゆ)するといったような護国思想でもない、と。 これだけの短い文章ではなかなかわかりにくいですが、読んでいてなるほどと、親鸞の思想をまた少し理解できたような気になった。 第3章の「現代社会の基本問題」では、まず現代というのはいつを指しているのか代表的区分方が3例を挙げられ、そういう風に区切られた現代社会の中で、どのような問題点があるのか、思想史面などから説明。 ヨーロッパでは資本主義の進展とともに、共同体が崩壊し個人が市民としての契約関係の中で新しい社会理念というものを築き上げたのに対して、20世紀はじめの日本では、(封建時代の村という共同体は崩壊したが)国あるいは社会と個人との間に共同体という観念を持ち込んで「家族国家観」という国家有機体説にもとずく思想が国家によって形成された。しかし戦後以降、それらが批判されると、実用主義的個人主義が叫ばれ、個々人の欲求が解放され、社会のまとまりがなくなってくる。 そういう動きを心配した日本の財界の参謀本部的役割をなす経済同友会が危機感を抱き、社会緊張を乗り越えていく4つの対策試案(情報操作、サンドイッチシステム、(企業内での)コミュニティの形成、責任感の確立)を提示したことなどを紹介。これらは同朋会の考えと似ており、問題把握も同じだが、財界はやはり利潤の追求のために社会を見ているのであり、同朋会と同友会では一緒に取り組めない問題であり、親鸞の非権力の立場に立つのならまだしも、これらの試案は虚妄性が見えてくると、著者は厳しい指摘をする。 第4章「現代社会教化の問題点」では、宗教的中立は存在するか、という点について述べられます。国家が宗教的中立という場合、ヨーロッパではたとえば教育など慈善事業に宗教が長い歴史を通して関わってきたから、まだいいが、日本の場合、宗教的中立とは、何かの宗教を「信じる自由」と他の宗教を「信じない自由」があるから、「信じる自由」が「信じない自由」も含み、どのような自由も信じないことも「信仰の自由」として認められ、(政治と宗教は根本的に相容れないこともあり)、あたかも無宗教だけが宗教的な中立であるようにいわれているが、それは権力の側の態度に過ぎないと述べる。じゃあ宗教的中立は成立しないのか?、著者はそうでなく、何もかもある、えこ贔屓しない中立もあるとする。一箇所に何もかもあることは必要なく、地域の人達の要求に応じて、必要なものを設けて、そうしてそれを任意に選べる自由を保障する、これで十分宗教的中立は保てると説く。 まあだいたいこのような内容のことが色々述べられています。 なお断っておきますが、我家の宗旨は、この真宗の大谷派ですが、私は別に宗教活動に関わっているわけでも、大谷派のまわしものでもありません。同年代の人と比べると比較的宗教に関する抵抗感がなく、色々とこういう本を読んでいるだけです。だから真宗のみならず、浄土宗、曹洞宗、臨済宗、密教、キリスト教などなど色々読みます。ただ正直申して親鸞さんは、思想的には一番スゴイかなと思っているのは確かです。 繰り返しますが、この本は東本願寺(真宗大谷派)という特定の宗教団体から出版されている本だし、かなり古い本なので、特には薦めません。興味をもった方は、図書館で検索するか、インターネットのオークションなどでも利用して入手してみるのがいいかなと思います。 |
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