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書評(平成19年09月25日)

『庭にくる鳥』
(朝永振一郎著・みすず書房)

  著者は、勿論1965年にノーベル物理学賞を受賞した人物である。といっても、科学に関する一般書という訳ではなく、随筆集である。だから別に物理の知識がなくとも全然大丈夫。
 私は、医学科学関係のノーベル賞受賞者の随筆が好きである。2流どころのエッセイストより、よっぽど文章がうまいと思う。昔は、よく湯川秀樹とかシュヴァイツァーの本を読んだものである。

 この朝永振一郎氏は、湯川秀樹氏は同じ高校出身で、その時からの友人であり、同じ京都大学理学部物理学科に進み、どちらも素粒子の分野で業績を挙げ、ノーベル物理学賞をとられた事は有名である。この本を読んでみると、一時期同じ部屋(2人部屋)で暮らしたことさえあるのがわかる。

 では朝永氏と湯川氏は、大学時代以降も、気軽につきあえる仲であったかというと、どうもそうでもなかったようだ。湯川氏が次々と業績をあげ先行し、わが国初のノーベル賞を、それも朝永氏より16年も早く受賞していただけに、朝永氏の刺激ともなったが、苦しみともなったようだ。彼が少しいい仕事をしても同じ分野では、世界ではもっといい仕事した人や誰かに先を越されたりして上手くいかず、あの朝永氏でさえ自分は役立たずの科学者だと悩んだりしたこともあるようだ。また湯川氏の活躍は、古くからの友人とはいえ、内心は羨望の念を禁じえなかったことも正直に吐露している。

 ほかに、入院の苦しみ・楽しみや、武蔵野での生活、凡児さんとあだ名された坂田昌一氏の思い出話、訪英旅行の話、ホテル-旅館-銭湯考、鏡の中の物理学など、色々な話題が述べられている。
 私が特に面白かったのは「ホテル-旅館-銭湯考」と「鏡のなかの物理学」である。
 
 まずは「ホテル-旅館-銭湯考」だが、封建社会の崩壊後、西欧では貴族に代わって台頭してきたブルジョア達が、王侯貴族の雰囲気を楽しむためにホテルが出来て大流行した。また日本では、明治以降、武士に代わって台頭してきた金持ちたちが、大名生活を享受するために、宿場の本陣をまねした旅館などが大流行した。しかし似ているようで、実は違う。西欧では貴族生活の雰囲気を完璧にするために、似つかわしくないものは排除するという有機的一貫性を保とうとしたが、日本では、裃をつけて旅館に居るというのは窮屈で、良い点だけを味わい、悪い点は捨てればいい、という考え、短を捨て長いをとるのが日本流と説く。銭湯の発達についても同様な観点から説く。

 次に巻末の「鏡のなかの物理学」。これが一番科学的内容だっただけに一番興味が惹かれた。私も、対称性・非対象性、鏡像関係などには、興味があるので今までにも色々読んだ。しかしそれらとは大分違う内容だ。力学現象、電磁気現象、熱力学、素粒子の世界の現象なども、鏡にうつる現象として考えてみるという素朴な手法で、この世界の不思議な法則を教えてくれるのだ。

 素朴な手法と言ったが、現実によむ見かけるような、鏡にうつる向こう側の現象と、こちらで起こる現象が全く対照的ありうるかという観点のみではない。特殊な鏡も考える。1つには時間をも鏡のように見ることが出来る鏡があると仮定。さらに素粒子に関しても粒子・反粒子の対称性を見ることができる鏡までもがあると仮定すると、この世の中は三種類の鏡を使えば、こちらに起こる現象は、全て必ず鏡の向こうでも起こりうるという関係にあるという。時間の次元、粒子・反粒子の次元でも鏡像関係になり得るというのだ。

 この私が纏めた下手糞な文章ではわかりにくいが、朝永氏の文章に従い読み進めていくと、一見するとある現象に関して鏡像関係が成り立ち得なく思うような現象でも、少し深く考えたり新たな鏡を用いれば、鏡のこちらで起こりうる現象は鏡の向こう側でも起こりうるとわかり、興奮してしまうのだ。

 アインシュタインの相対性理論から、宇宙には特別な位置や中心などない、全ての位置が平等ということや、相対的な時間という考えを教えられ、今ではかなり多くの人が知っている事柄だ。これを朝永氏は、(ちょっと特殊な)鏡という道具を用いて、今までとは別の角度からわかり易く、かつ意外な鏡像関係までも説明してくれた。随分昔に書かれた本ではあるが、私には新鮮な驚きだった。

 科学に興味のある人にもそうでない人にも、できるだけ多くの人に読んでもらいたい1冊である。

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