このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

中国地方旅行
(その2・厳島編)

 このページは、私・畝源三郎が1997年に中国地方を旅行した時の、アルバムをもとに作成したものである。写真の枚数は、150枚以上あるのですが、あまり沢山紹介すると容量が大きくなるので、記憶に残るものだけ抜粋しました。四国旅行編と違い、月日がはっきっりしないので、何日目という表記になっておりますが、ご了承願います。
宮島の土産物屋 中国地方旅行5日目、佐方SAを朝早く出発し、宮島口に8時前についた私は、駐車場に自動車を止める。宮島に渡る切符を買い、少し待ってから、フェリーに乗る。宮島のフェリーの桟橋は、浮が付いており、潮の満ち干に対応できるようになったおり、つまらないことだが、感心した。まだ早い時間帯なので、殆ど観光客はおらず、土産物屋も殆ど開いてなかった。
 宮島は日本三景(残り2つは、天の橋立と松島である。私は一応全て訪れている)である。今回は1日かけて、宮島の名所をまわるつもりである。土産物屋の道を歩きながら神社の方に向かう。鹿が放し飼いにされており、餌を求めに私の方に擦り寄ってくる。
 下の左から3番目の建物は、千畳閣といわれ、豊臣秀吉が建てたそうだ。ここ宮島は、平清盛が修築してから、国家的な社寺となるが、中には秀吉のように後世の人が建てたものも色々あるようだ。
厳島の鳥居厳島の千畳閣厳島の五重塔
厳島・多宝塔厳島・多宝塔内部厳島大聖院 左の2枚の写真は、厳島の多宝塔の外観と、その内部(2階)である。
 右と左下の写真は、大聖院の写真である。まだ朝早い時間に撮影したので、山蔭の社寺は日があたらず、写り具合がよくないが、ご了承願いたい。
厳島大聖院厳島の境内
 左右の写真は、宮島の中の厳島から霊峰・彌山への登山道の白糸川の景色である。この白糸川は人工的に整備されたようであるが、まわりの林は原生林であり、なかなかいい景色であった。本当は、こんな道を使わなくてもケーブルカーがあるのだが、私はこういう時、大概、歩くことにしている。
厳島・仁王門 左の写真は、彌山登山道の途中にある仁王門である。右手前の写真は、標高500mくらいの所にある、弘法大師こと空海の開基といわれる求聞持堂である。本当か嘘かしらないが、そこで焚かれている護摩壇の火は、開基以来消えたことがないそうだ。左下の写真は、求聞持堂の向かい側にある御堂だが、建物の名称は忘れた。彌山・求聞持堂
彌山 左の2枚の写真は、彌山頂上(標高530m)付近の奇岩である。頂上付近にこういう奇岩があることが、霊山とされた由縁かもしれない。
 左の写真は、彌山頂上の展望台から見た江田島の方向の景色である。
また右の写真は、左とは逆の宮島口の方角の景色である。昔、毛利元就が厳島の合戦の際、村上水軍の援軍など助力を得て、渡ったとされる海峡である。といっても、私は、そんなに毛利家のことに関しては、詳しくありません。まとまった本としては、海音寺潮五郎氏の短編小説や、NHKの大河ドラマ「毛利元就」を読んだ程度です。知ったかぶりしてもしょうがないので、説明は必要最低限にしておく。
 左の写真は、大内氏の家臣の中から頭角を現し、実権を握った陶晴賢が毛利元就と戦った有名な厳島合戦場跡である。といっても、実際には1日で終わった戦いではなく、前哨戦なども色々あったので、この宮島の各地で闘われたというのが正確かもしれない。右の写真は、宮島の彌山登山口の近くにある陶晴賢の本陣跡(朱塗りの橋の向こう側)である。
 彌山を下りてきたら、観光客もかなり増えていた。トップの厳島神社の写真は、実は、彌山から下りてきて写した写真である。朝8時頃、まだ鹿の餌を売っていなかったのだが、下りてきたころはお昼の時間帯を過ぎて、売店も一番賑わう時間帯であり、私も1袋餌を買い、鹿に与えた。頭を撫でても逃げようとせず、相当人間に馴れているようだった。また右の写真は、厳島神社回廊の写真だが、朝、かなりあった水位が、この頃、かなり退いてしまっていた。
食堂で飯をくてから、買い物をする。私は、このあと、土産物屋で、自分が食べる分と家への土産分として、紅葉饅頭2箱買い、宮島を後にした。

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