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パーシヴァル・ローエル「NOTO」抜粋・第ⅩⅠ章 穴 水 に て |
よっぽど今日という日は、奇妙な魚を獲る道具に出くわすようになっているとみえ、いよいよ穴水に上陸した時、最初に私の目をとらえたのは、女性がスカートをふんわりと見せるために着用する、張の入ったクリノリンのような珍しい道具だった(イサザ(シロウオの一種)とりの網のことと思われる)。穴水港は、内海航路の終着点にあたり、船はここで客たちを下ろすと、外洋の日本海へ回り、能登半島の突端の東にあたる小さな港で、一泊することになっている。
穴水の町は海岸から少し離れて横たわり、船は入江になって運河のように狭あたりを、船着場に向かって入ってゆく。
我々乗客達は、艪で漕ぐ小船に乗せられ、水路が尽きる所までくると、波打際に1人の老婆がぺったり座り込んでいる。よく見ると、竹竿の先から吊り下がったフープ・スカートまがいの漁具が、下半分、水につかっているのを老婆はじいっと眺め続けているのが見えてきた。
この漁具がクリノリンと大きく異なっている点は、それが骨の上端で寄り集められていて、クリノリンのように腰を入れる余分が残されていないことである。その下端は水中に没しており、その部分には釣針が幾本も取り付けられているのだそうだ。
老婆の態度は、比較するものがないほどの無神経さであり、我々がすぐ傍を通りすがっても、まばたき1つするものでもなかった。道を少しばかり下がってゆくと、反対側の岸辺に動かない人がもう一人座っており、次の一人はすぐその先にいた。
これらの心暖まる老女達は、まるで瞑想にふけるカエルのように、水のほとりに座っているのだが、彼女達がいったい何者かは、直観的に知ることが出来た。
私に言わせれば彼女達は、常信の浮世絵の中に、幾百年でもじっと座っている“すなどりびと”であり、掛軸の中の人物さながらに、自分達の占めている場所を動こうとはしないのである。私はこの風景の片隅あたりに、常信の落款が押してはなかろうか、探してみたい衝動にかられそうになるのであった。
話によるとこれらの尊敬に値するお婆さんたちは、隠居さんたちである。隠居とは社会から絶縁された立場に置かれる老人をいい、このお婆さんたちの場合は、寡婦でない未亡人とでも解釈していいだろう。
というのは夫婦ともどもに社会的立場や、財産を断念してしまったからなのであり、彼女たちの嫁さんたちは、家庭の労働を引継ぎ、婆さん達は毎日こうした気晴らしを送っているのである。
このあたりは、運河のある地方のように狭く入り組んだ地形のためか、あるいはあちこちに屯(たむろ)する老女たちのためか、それともこの風景を包む大気のせいか、私にはふっとオランダの風景を思い起こさせた。またこのような雰囲気の中に身を置いたことは、生まれて初めてのようにも感じられた。
人間がその知覚するものの中から、せっせと糸をたぐり1つの織物を織るにも似た作業をするのは、なんと神秘な精神の作用であろうか。1つの得も知らぬ動機がもとになって、忘れられていた1本の古い糸を探し当てると、なんの理由もなしに過去の体験の一場面が、ありありと胸中に映じ始めるのである。
背景のみが思い出されている間は、なんとなく物足りなさを覚えるのだが、それは織物の細部は織り出されているが、人は縦糸の存在に気がつかないのである。そしてすべてが織りあがって完成すると、全部の横糸の存在が急に意識されてくるのだ。
雰囲気というものは、芳香のそれにも似て、過ぎ去り忘れ去った事柄を思い起こされるような作用をするものである。
穴水については、心に刻まれた1つの思い出があり、それは1時間ほど休憩した宿屋の1部屋にまつわるものである。
その部屋はこんな片田舎にしては、想像もし得ないほどの場所であった。これから若松(輪島の誤り)へ帰るのだと言っていた、船で見知った男にとっては、この宿は特別な感じを与えた訳ではないらしく、彼は隣の部屋で楽しそうに、昼食をとっている物音が聞こえてきた。
私にとっては、同じ宿でも少しの場所の持つ意味が違っていて、穴水は旅の終わりでもあり、旅の終わりのはじめでもあるのだ。なぜならば、私はこの地点を最後として帰路につく決心をしたからである。
私の旅も、ちょうど障子を隔てて外が真昼であるように、正午にさしかかったのであり、1つの安堵を味わう時がついにやってきた。
今までは、前方から訪れてくる様々な事件は、その影を私の前に投げかけ、私はそれを追いかけて来たのだが、今や能登の国の中央部に到達し、太陽は天頂を通過したので、これから全ての物事は、東を指して戻ってゆくものである。
眩しい表の日の光は、室内の影の色を濃くし、暗さが深まったように思われた。私は成功を遂げた刹那に、チラリと心をよぎる悲哀感が、静かに忍び寄るのを覚えた。私の場合の成功とは、旅の目的地にたどり着いたという、実に些細な事にほかならないのだが。
大きいにしろ小さいにしろ、また真実のものにしろ、全ての成功には同質のある悲哀感がつきまとうものなのだ。人間の心情の働きは、不思議な程、目のそれに類似する。
1つの色彩に目を長く向けた後で、目をそらしてもその補色が知覚されると同様に、心に長く抱いていた1つの感情が満足の域に達すると、ゆるんだ神経は全く別の感情に襲われるのである。
私の目には、ずいぶん以前に見た日本の宿のたたずまいが、長い年月の間を縫って思い出されれてき、名残り惜しい気持ちがつのってくる。そして真昼のひとときのまどろみの楽しい夢の中に、半日ずつ2度した徒歩旅行が向かい合わせになって現れてきた。
そして今は、遠くに消え去ってしまったその時の道連れのことも、思い出されてくるのであった。それはあたかも短音階の旋律を聞いた後で、それがより複雑な変奏曲の和音となって再現し、情緒豊かなシンフォニーに展開してゆき、私は時々、最初の単純なモチーフに連れ戻されているようでもあった。
そしてこのような私の勝手な空想の舞台の上に、パントマイムの俳優のような、口をつぐんだ茶店の女が、現れたり消えたりした。
穴水から奥の地方には、特に風変わりな所もないのだろうと思いつつも、一方では、ひょっとしたらそこには黄金の国があるやもしれずという、心残りが私の胸の中にはあった。ここから連なる丘陵地帯はあまり高くはなく、18マイルほどゆくと、日本海に面した若松(輪島の誤り)に到達するが、そこからは海だけしか見えず、海の向こうは朝鮮なのだそうだ。
無理をして歩いていってみたところで、その労に報いる程のことは無いのは明らかだ。たまたま、街頭でうっとりするような後姿に出遭っても、その女の顔を見ようとするのは愚行というものだ。そんな事をすれば、幻滅を覚えるのが関の山なのだから。
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