福浦の灯台 |
| 左側の写真は、福浦の灯台である。日本で最も古い木造洋式灯台だが、現在のものは明治9年に建てられた(以前のものは慶長年間に作られたものだった。おそらく、立て替えられても、今だに使われつづけて残っている灯台として日本最古という意味だろう)。
左下と右下の写真は、どちらもこの灯台が建っている福浦の町、左下の写真は、右下の写真に写っている高台のあたりから撮影している。
この近辺(福浦周辺)は、古代、極東の沿海州にあった渤海から度々使節が漂着し、そのために当時の日本の迎賓館である能登客院が建てられた地区でもある。江戸時代は、避難湊とし栄え、30数軒の遊女屋があったという。 |
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竜ヶ埼岬灯台 |
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上の写真は、輪島市の小さな岬である輪島前(わじまさき)の丘の上にある竜ヶ埼灯台を、灯台横の駐車場から撮影したものです。この駐車場で既に標高約10mくらいはあるのではないでしょうか。 |
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上の写真は、竜ヶ埼灯台から七つ島の方向を見た写真です。 |
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この日(平成19年1月19日)は、輪島段駄羅同好会の新年初めての研究会及び懇親会のある日だったので、少し早め輪島にやって来た。空いた時間を利用して、この灯台に来たのだった。ただし輪島段駄羅研究会が行われる輪島前神社は、この灯台のふもとのようなところにある。
天気は見たとおり、こんな所を訪れるには不向きな時々雨が降る悪い状況だった。
それでもまあ一応写っているから良しとしよう。
右の写真は、灯台の横から撮った袖が浜(海水浴場)の写真です。輪島の市街地は、輪島前の岬を挟んで、この反対側(左側)の方にあります。 | |
猿山岬灯台 |
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門前町に入る手前、鹿磯という港町から海岸沿いに少し歩くと、海からおよそ300m、まっすぐそそり立つ断崖が見える(右上の写真を少し向こう側に回ったあたり)。能登半島国定公園中、最も規模の大きい海食崖である。この一帯には昔、猿が沢山いたと言われるので、猿山岬と呼ばれている。断崖は約4kmにわたって続き、主として第3紀の礫岩よりなっている。最後部に近いところにあるのが、左上の写真の猿山岬灯台である。
このあたりは、能登随一の釣り場であり、鯛や鱸、メバルなど、四季を通じて豊富な漁獲が楽しめる。 |
禄剛崎灯台 |
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| 上と左の2枚の写真は、能登半島の先端禄剛崎の岬である。
禄剛(ろっこう)とよばれるようになったのは、いつ頃かわからないが、この地は古くから狼煙(のろし)と言われている。それは昔、この地には北海警備の要衝として狼煙台が設けられ、北海道がここに通じており、事ある時にはここで狼煙たいて急を知らせたのだということである。
現在は岬の台地に白亜の灯台が建っている。台地は海岸段丘と言われ、かつて波打ち際に形成された平坦な堆積面が、その後の隆起によってもちあげられたもので、高さおよそ50m、殆ど垂直に屹立しており、根元に広大な波食台を広げている。
晴れた日には台地上から、遠く佐渡ヶ島を望むことができる。この日も佐渡がかすかながら見えたが写真には撮ってない。かつてこの沖合いは、北海道から佐渡沖を経る日本海沿岸の航路にあたり、ちょうどこのあたりが風の変わり目になるところから、白い帆を張った沢山の帆船が、水平線を埋めるかのように風待ちをしていたものだという。
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能登観音埼灯台 |
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七尾市の東北部の崎山半島の先端の丘陵地の上に建つ能登観音埼灯台です。右上の写真は、観音崎の近くの鹿渡島の観音堂から、灯台方向を撮影したものです。
この日は、風が強く、晴れてはいましたが、黄砂が空を黄色く空を覆って、空も海もあまり青くは写らなかった(見えませんでした)。ほんとはもっともっと青くて綺麗な海なんですが。 |
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灯台の手前に案内板が立っていたので写しました。このままでも読めそうなので、特に再記はしません。 | 上の写真は、七尾市崎山半島先端と、ほんの数mしか離れていない鹿渡島(かどしま)です。 |
(宇出津)崎山灯台 |
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上下の灯台の写真は、能登町宇出津の崎山に立つ崎山灯台です。撮影日は、中秋の薄曇のかかったどんよりとした日のため、写真はちょっと暗めですが、あしからず。下の写真は、灯台の下から、及び宇出津新港の方から撮影した灯台です。 |
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小木港灯台 |
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上の写真2枚は、能登町小木の灯台の写真です。右下は小木灯台から海の方を見下ろした写真、左下は小木港の入り口の堤防の写真。 |
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