このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

(平成16年元旦作成)

旧日本海軍潜水学校七尾分校

 七尾北湾(穴水湾)には戦時中、潜水艦基地があったようだ。海軍の記録をみても、日本の潜水艦の出入港の記録などが出てくる。中には、日本潜水艦の最大級の伊400級も来ていたようである。
 終戦間近の頃、潜水艦第3期高等科潜航術(内火練習生)教育訓練のため、昭和20年(1945)2月穴水町に分校設置が決まり、6月1日住吉小学校で開校式をあげました。練習用として伊号4隻、呂号6隻、波号3隻が本校の広島県大竹市から手配されました。
 当時、大竹では教育、特に潜航訓練が困難となったため、七尾北湾は水深平均20m(最大40m)と深く、潜航訓練が可能であっったため、白羽の矢がたったようです。
 しかし練習用の伊122号潜水艦が6月9日11時45分舞鶴出港後、七尾湾へ浮上航行中に、10時43分石川県禄剛岬灯台沖の120゜6nm(37゜29'N/137゜25'E)でアメリカ潜水艦(SS305)スケートの発射した魚雷4本中、2本を受けて沈没し士官5名を含む乗員85名全員が死亡するという事件がありました。翌日0沈没確認しています。日本海で沈められた唯一の潜水艦だそうです。
 解散式は、同年8月28日で、わずか2ヶ月ほど短期間の学校でした。
 
 この潜水学校七尾分校の記録は、期間が短かったために、地元でもほとんど残っていませんが、今後も新しい情報などありましたら、付け加えていきたいと思います。
 

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