このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

謎の絵師・長谷川等誉
〜七尾を中心に活躍した長谷川派を継承した画家〜

 長谷川等誉は、七尾を中心に活躍した長谷川派を継承したと考えられる絵師です。等伯と姓は同じですが、縁戚関係があったのかどうかなど出自経歴はほとんど不明の人物です。ただ等伯が養子に入った長谷川家の菩提寺である長寿寺の過去帳により没年(生年不詳〜寛永13年(1636))がわかるのみである。没年だけみると、等伯より26年後まで生きていたことになります。本延寺(七尾市)の涅槃図面下隅に「慶長14年、長谷川等誉入道」と墨書されていますが、東京国立文化財研究所の河野元昭氏は、慶長14年は長谷川等誉は50歳前後と推定されると述べています。とすると等伯とは約20歳の歳の差となります。

 等誉が活躍したのは、桃山から江戸時代初期にかけてです。
活躍時期なども考えあわすと、等伯と等誉は、親と子、または祖父と孫ほどの年の差があったのではないでしょうか。作品群が、七尾を中心とする能登地区に集中し、等伯の姓だる「長谷川」を名乗り、また等伯の号の一字を取り「等誉」と名乗っていることや、等伯の作品を数多く模写などして追っていることなどから、等伯上洛後に、地元七尾にあって長谷川派を継承した人物であったことが推測されます。


 ※ 長谷川等伯(1539〜1610(慶長15年))は、能登畠山家の家臣・奥村文丞宗道の子として、七尾に生まれました。幼名を又四郎といい、帯刀と称しました。幼い時、一族の染物屋・奥村文治の斡旋で、七尾の染物屋長谷川家(長谷川宗清(道浄))に養子として出されたのでした。地元七尾で活躍している頃は、信春と署名、上京してから等伯を名乗ったらしい。

 等誉のうち制作年代の判明する最も早いものは、慶長4年(1599)に描かれた七尾成蓮寺(しょうれんじ)の「紙本白描淡彩涅槃図」(一幅)(現在、所有は成蓮寺だが石川県七尾美術館所有)です。本図の画面右下隅には、「慶長四年七月二日長谷川等誉是写也」とあり、図様から、これは同市長壽寺の室町時代の「絹本着色涅槃図」(一幅)を写した線描による粉本であるとされています。

 この等誉なる人物は、明らかに等伯の影響を受けたと考えられますが、手馴れた筆致により、すでにこの段階で相当画技に習熟していたものと思われます。画面の一部には、淡い彩色が施され、「よろづ色あり」、「ゑんし」(臙脂(えんじ)色)など彩色の指定と、「此四本木かれき也」などの書き込みがあり、絵画的史料としても極めて興味深いものです。等誉が、七尾で等伯から教えを受けた可能性がほとんどないことを考えるとあるいは一時期、京都で学んでいる可能性も考えられます。

 話は前後しますが、長壽寺の「絹本着色涅槃図」は長谷川等伯の影響を受けたものととられがちですが、等伯が30歳に描いた羽咋市妙成寺(みょうじょうじ)の「涅槃図」よりも、若干早い時期に描かれた可能性があり、長谷川派の形成の1つの興味ある謎となっています。等伯は32歳で上京するが、それまでは信春と名乗って、七尾を中心にして活躍していました。

 等伯は最初、絵の心得のあった義父・奥村文丞宗道から手ほどきを受け、そののち雪舟の弟子・等春から指導を受け、一字をもらい等伯と名乗ったとされています。となると.3人とも「等」の字を号に持ち、長谷川派を引き継いで長谷川等誉と名乗ったのではなく、等春の系統を引き継ぐ意味で、等伯の縁者の長谷川家の者が、等誉を名乗った可能性も少ないですが考えられます。

 等誉は、後年、本延寺(七尾市)の「紙本着色涅槃図」を描いていますが、長壽寺の涅槃図、等伯の妙成寺の涅槃図、成蓮寺の涅槃図、本延寺の涅槃図は、写真でみると、画材こそ違うが、構図がそれぞれ非常に似通っています。釈迦を取り巻く人々の評定やしぐさまでよく似ており、4つの寺(いずれも法華宗の寺院)の涅槃図を比較するのは、まるで、間違い探しの絵を見るような感じです。

 等伯は、七尾時代、自身が熱心な法華教徒であったことから、ほとんど法華寺院か法華信者の要望によって絵を描いていますが、等誉も同様、ほとんど法華宗関連です。おそらく等誉もまた法華宗徒であることは間違いありません。等誉は、慶長14年(1609)、等伯の縁者と見られる奥村宗以(おくむらそうい)その他、本延寺檀那衆の求めに応じて本延寺の「紙本着色釈迦涅槃図」を描いています。

 同図は、構図や描法などに、等伯が描いた妙成寺(羽咋市)の「釈迦涅槃図」と相通じる点があり、等伯の影響を受けた長谷川系画家としての等誉の特徴が十分うかがえます。この絵を描いた当時、等伯は既に中央画壇で自他とも認める第一人者になっておりました。この長谷川等誉の謎を解くカギはそのあたりにあるのかもしれません。専門家の今後の研究に期待したいと思います。

(参考)
長谷川等誉の絵を実際にみてみたい方は、「七尾市の文化財」(2001年3月、七尾市教育委員会発行)に写真が掲載されていますから、そちらをご覧になるのがいいかと思います。

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