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パーシヴァル・ローエル「NOTO」抜粋・第Ⅹ章
内  海
 
 昨夜耳に挟んだ話によると、この一般にはまだよく知られていない内海に通う小型蒸気船の便があり、1日置きに朝早く七尾を出、和倉には間もなく立ち寄るとのことであった。幸いにもその日は、船が寄る日と知り、我々もそれに乗り込む手筈にした。

 正直にいって船の上に乗っけられたという感じで、船室はあるにはあるのだが、中に入ってみようとは仮にも思えぬ代物だった。平つくばいになり首をかしげて入り口から船室の内部を覗いてみたが、それをするのも私にはやっとであった。

 船体は救命ボートをひとまわり大きくした位の大きさだが、心臓部のエンジンだけは船体に似合わず強力で、盛んに鼓動を続けて船体を揺さぶるので、今にも船もろとも爆発を起こすのではないかと気が気でなかった。

 それに乗客の全員が日本人ばかりであることは、何か私に不安感を抱かずにはおかせなかった。

 猫の額くらいの甲板があるので、港を出て少し経ってからそこへ這い上がり、パイプタバコを一服楽しもうと腰を下ろした瞬間、背中の方の船員室から、舵をとるのに邪魔だから退いてくれと怒鳴られた。それからは、鳥がしゃがむような格好で船べりに腰掛けていることにした。

 船は快適に湾の中央まで舳先を進めた。海は眠ったように穏やかで、朝方の赤味を帯びた靄の下に、磨きたての真珠のようであり、陸地は見渡すかぎり、四方八方に絵のような姿態を浮かべている。ある地点では対岸は1マイル半くらいに近接するかと思うと、船の方向が変わると海は両側の平たい陸地の間にせりだしてき、それが延々10マイルもつづいたりした。

 しかし、このあたりで、夢の中にいるような幻想的な雰囲気の中に私を置いたのは、黄金色もまばゆい大気であった。それは地球の上の一隅を孤立した幸福な谷間のように隔絶し、私のふかすパイプの煙は、この地の仏達に供えた香のように、船尾の方へとたゆたいながら流れて行くのであった。

 船客達と言えば、集団ピクニックの連中から、奥地探検隊まで実に多種多様で、男女の年齢差もまちまちである。ある者達は後方の船室の中に屯(たむろ)し、他の者達は船の中央部あたりに三々五々固まっていた。

 船室に収まっている連中は、そんな窮屈な所に押し込められていながら、余分な料金を払わされているので、特権階級のような目つきで甲板の上の連中を眺め、我々をザコくらいに思っていた。言わば、この船旅は小型の遠洋航海のようなものであった。

 ちょうど船客達が下船の準備をし始めた頃、対岸の樹木を背景に姿を現したのは、私が生まれて初めて見るような、世にも不思議な水上構築物であった。

 創世記に出てくるノアの大洪水以前にあった掘っ立て小屋の骨組を、これも有史以前の怪鳥ロックが見つけて、巣に選んだ場所とでも形容できようか。

 それは海中に4本の傾斜して立つ丸太ん棒よりなり、海面から3/4ほどの高さで互いに交叉しており、頂上には気球の吊し籠に似た、小枝を編んで作った籠が乗っていて、そのへりからは人間の頭が突き出している。

 籠の中にいる男が、我々の方を見やりながら頭をあちこち巡らせている様子は、餌食の引っかかるのを待ち構えている巨大なクモの化物を想像させるのに充分だった。初めの中はその男がどういう風にして、籠までよじ登ったのか合点がゆかなかったが、船の位置が移動し、構築物の向こう側が眺められる所まで来ると、それは理解できた。丸太ん棒2本の中間には、横木が幾本も取り付けられてあり、梯子の役目をなしているのだ。

 さて彼が登った方法は飲み込めたが、何の用でそんな高所へ登る必要があるのかという疑問が湧いてきた。どう考えても合点がゆかないので、栄次郎に説明を求めたが彼も首を横に振り、傍らの客にまた聞いた。

 私の質問は理屈の通ったものだったが、相手の選択を誤まったのであり、その男は「あれは魚を獲っているのですよ」と答えた。しかし魚を獲っているにしては、私はその籠の中の男ほど、それらしく見えない男を今だかつて見たことがない。

 栄次郎に答えた男の言う通り、事実この丸太ん棒のヤグラは網でヤナの入口に繋がれており、籠の上の男はボラという名の大きな魚のやってくるのを待機している、見張り番だったのである。ボラの群が網の入口から入り込むやいなや、男は素早く綱を引っ張って入口を閉じてしまう仕掛けだ。

 彼の座っている見張り場所は、海面よりはるかに高く位置しているので、海の深い所まで見透かせるのである。残念ながら私が目を配っている間には、網の中へ遊泳してくる好奇心の強い魚はいなかったので、この仕掛けの巧妙なカラクリは観察できなかった。しかし、漁師がああして日がな一日を費やして番をしているのは、きっと魚が獲れることもある証拠なのであろう。

 この寄港地は目立った港でもないので、数人が下船しただけで、船はすぐさま方向を変え、両岸が差し迫った水路を進んで次の湾に入っていった。
 この付近はボラのお気に入りの海と見え、海際近く例のボラ待ちヤグラが、あちこち海中に立っていた。互いに邪魔にならぬように適当な距離を置いて、波打ち際から少し離れて深くなった所にあり、人の乗っているものもあり無人のものもあった。

 この湾で印象に残った事の1つは、たまたま天を仰いで太陽を眺めると、その周りに大きな暈(かさ)がかかっていたことであった。薄い雲のヴェールが青空になびき、太陽の光が少しやわらいでいるのに気が付き、頭上の天頂に目を向けると、それを見つけたのである。

 気象学の本にはよく出ているので、この現象は絵で馴染みになっていたが、滅多に本物には見られないので、実際に目撃すると少し不気味な気がした。最初にそれが目に止まった瞬間には、この神秘な光芒を放って太陽を取り巻く輪は、能登の国に出現する魔法のたぐいかもしれぬと思った。

 月がこのような帽子を被ったのを眺めるのは、日本人達が言うように夜の情緒を添えるもので、そんなに珍しいとは思わないが、夜の暈を日中、天空にかかげるのは、太陽に魔法の冠を頂かせるようなものであろう。

 波の上には白帆が点々と浮び、その中の1隻の舟が私の船に向かって、真正面に突き進んできたのを今でもまざまざと思い出す。近接するにしたがって、舟はその全体の姿をだんだん大きくし、すぐ間近にまで来て交叉したので、挨拶代わりに花束を投げてやりたいと私は思った。

 その舟は揺れることもなく、疾風のようなスピードで、まるで我々の船の存在など目にもくれないと言った様子だったが、傍らを通り過ぎてしまうと、こちらの船の水尾のあおりで、急に女のような媚体でゆらめき、別れの挨拶を幾度となく送ってよこすのであった。

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