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宇治拾遺物語が語る陽勝

  「105 千手院僧正仙人にあふ事 巻八ノ七」
 
 昔、比叡山の(西塔)千手院に住まわれていた(※1)静観僧正という座主(静観は第18代天台座主)が、夜更けてから、(※2)尊勝陀羅尼を、終夜読んで、長い年月が経ってしまった。(その声を)聞いた人も、(静観僧正が誦えるその尊勝陀羅尼を)非情に有りがたがった。

 陽勝仙人と申す仙人が、ある日、空を飛んで、この坊の上を通過していると、この陀羅尼を唱える声が聞こえてきたので、下りてきて、高欄(欄干)の矛木の上にとまった。僧正は、奇異(あや)しいと思い、誰であるかと問いなされると、その者は、蚊のような声で
 「陽勝仙人でございます。上空を飛び過ぎさせてもらおうとしたところ、貴方様が尊勝陀羅尼を誦える声をお聞きして参ったのです。」とおっしゃった。それで、僧正は、戸を開けて請じられたところ、陽勝は、飛び入って前に座った。

 (会うことなく過ぎた長い間の積もり積もった)長年の話を語らった後、もう時間がきたからこれでお暇しようと立ち上がったが、人間の発する気に圧倒されて(仙人の気が薄れ)、飛び上がることが出来ない。それで
 「香炉の煙を私(陽勝)の近くに寄せてください」とおっしゃったところ、静観僧正は、香炉を陽勝の側へ差し出し寄せなさった。

 陽勝は、その煙に乗って空へ昇ってしまった。この僧正は、長年継続して、香炉を差し上げて煙りをたてていらっしゃったということです。この仙人は、もとは僧正が召し使われていた僧が、修行して、行方しらずになったのを、長年の間気がかりに思われていたところ、このように参ったので、しみじみとあわれに思って、いつもお泣きになっていたといいます。

 ※1 :静観僧正は、増命(843〜927)の謚号。天台座主就任は、延喜6年(906)。
 ※2 :
尊勝陀羅尼は、「仏頂尊勝陀羅尼経」(1巻、唐の仏陀波利訳)の中の陀羅尼。帝釈天が、死後、畜生道に堕ちようとしていた善住天子を哀れみ、その救済の法を仏に尋ねると、仏はこの陀羅尼が苦難病悩を消滅し、長寿安楽を得せしめる功徳のあることを教え、唱えしめたといわれる。陀羅尼は呪文。

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