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所口町役人

(1999年8月12日作成)「(図説)七尾の歴史と文化」の同タイトルのページを転記

所口町には、町年寄・惣肝煎(そうきもいり)・町横目・祐筆役(ゆうひつやく)などの町役人がおり、他に散肝煎(さんきもいり)といわれる米肝煎・魚肝煎・船肝煎などの諸産業関係の役職があった。これらの町役人は式日(毎月朔日・6日・11日・21日.26日)といって、決められた日に役所に出勤しなければならなかった。町役人の勤めたところは最初、寄所(よりどころ)と呼ばれ、その後、文政3年(1820)5月寄所を町役所と改め、さらに安政元年(1854)には所口会所と改められた。
嘉永4年(1851)を例に町役人の状況を見てみよう。町年寄は町役人の最高位で、由緒ある豊裕な上層町人から登用され、所口町全体の町政に当たった。人数は4人であるが、町年寄の中には名字を許されたり、越中屋喜兵衛のように海商として日本海を舞台に活躍した者もいた。横目肝煎は6人で、町
肝煎の監督と共に町役所の不法なども監視した。算用聞(さんようぎき)は町に関する会計事務を担当した。
町肝煎には、府中町肝煎・東西地子(じし)町肝煎を始め、20人の町肝煎がおり、各町を支配させた。 町肝煎は戸口調査・宗門吟味・物成・役銀の徴収などを主な任務としていた。町肝煎の支配する各町内は、さらに10軒前後の町家が1つの組を作っていて、これを10人組と呼び、町を構成する最小単位である。この10人組を数組あわせて組合を作り、その責任者として組合頭が置かれた。
十人組と組合頭の主な任務は、家督相続・財産処分に関する遺言状、家売買に関するものであり、町人生活における基本的な事項を取り扱った。十人組を構成する亭主(家持ち人)は、町役銀・地子銀などの諸役銀上納の他、箱番や亭主番・夜番など町内見回りの義務もあった。

嘉永4年 所口町役職名一覧
役職名人数役職名人数役職名人数役職名人数
町年寄人別方蔵宿下才許水主宿役
町年寄並魚問屋旅人調理役大工肝煎
惣肝煎制産方算用役御口銭取立役20転馬肝煎
町肝煎20船肝煎苧かせ吟味役樋屋肝煎
蔵縮役質屋肝煎酒屋肝煎湯屋肝煎
制産銀主附き米肝煎用米差引役売薬人宿役
後用銀主附き古手古金肝煎諸色吟味役紺屋肝煎
町横目素麺肝煎御荷物宿豆腐屋肝煎
祐筆役木挽肝煎御用銀算用役
町役所留書役難渋人見届役魚肝煎

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