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エピソード(岩城穆斉)
ある年、大坂での海参(いりこ)の時価が騰貴して数倍になった。その時彼はその利益を割いてこれをことごとく漁民に与えたので、漁師はもとより、一般の人々も彼の清廉寡欲を称揚し、その恵みを悦ぶとともに、その義理厚いのに感ぜぬものはなかったということである。
また天明5年のこと、長崎における幕府の官庫の役人・春梅次郎氏春という人が幕府に上申して、「塩屋清五郎なるものが幕府と漁民の間に介在して莫大な利益を独占しておるから幕府にも漁民にも不利である。故に直接漁民から買い上げるほうが良い」と主張し、遂に幕府の許可を得たのである。
それで、春梅次郎が自身七尾に出張し、江戸幕府の役人と立ち会いの上、七尾沿岸の関係漁民を集めて塩屋の手を経ないで直接幕府へ納める方が利得である事を極力諭したのである。然るに、漁民一同は口を揃えて旧来の如く塩屋の手を経て納めるよう懇願したので、塩屋はその産業を失わず却って令名を愈々彰われ、郷人に深く尊崇せらるるに至った。
これに反し春梅次郎は面目を失し切腹して罪を幕府に謝罪したが、穆斉はその死を憐れみ厚くこれを葬って碑を建て毎年その法要を営んだそうである。碑は長福寺にありと言い伝えられている。
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