このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

気象予報士合格日記


「気象予報士」を取ろう思ったわけ
 平成6年8月26日に第1回気象予報士試験が行なわれました。そう、あの某有名お天気 キャスタ−が落ちちゃった,と騒いでいたころです(みなさん,覚えてますか?)。
 僕は当時、高校1年生。地震や地質、気象に興味を持ち、将来は気象庁に入れたらなぁ、なんていう 夢を持っていました。そんな自分にとって,この「気象予報士」という資格は魅力的なものだったのです。 「気象予報士」になれたら,下手すりゃテレビに出られるかもっていう気持ちもありました (ただ、実際は資格を取ったからといったって、すぐにお天気キャスタ−になれるわけでは ありませんが・・・・)。しかし、目の前には「大学受験」という、さらなる大きな壁が 立ちはだかっており、大学に入ってから気象予報士の勉強を始めることにしたのでした。

平成10年8月〜平成11年3月
 大学1年の夏休み。自動車学校に通うかたわら,気象予報士の勉強を開始。 まず、通信講座のテキストを頼んで(確か3万以上したような。ただし、 3回受験して失敗したら、その金が戻ってくるというので買うことにした)。 さすがにはじめは、テキストに書いてあることがさっぱりわからない。まぁ、こんなもんだろう と気を落ち着かせて、何度もそれに目を通した。
 勉強をはじめてから2か月ほど経ったころだろうか? 気象予報士関係のホ−ムペ−ジで、「一般気象学」という本は絶対に 熟読すべしというようなことがあったので、大学の図書館から借りてひと通り3、4回読んだ。
 そうこうしているうちに、試験日平成11年1月31日がやってきた。 ちょうど大学のテスト期間とぶつかり、最後の追いこみができないまま試験に突入。 試験は午前に「一般知識」、「専門知識」の試験が、午後には「実技」の試験がある。 午前の2つの試験の方はなんとか大丈夫かな?という感じ、午後の実技試験はあまりいい出来 とは思わなかった。案の定、結果は不合格。ただ、「一般知識」、「専門知識」は合格したので、 次の試験から1年間は免除される。したがって,残すは実技のみ。

平成11年3月〜平成11年10月
 あと残ってるのは実技だけ。この甘い考えがもとで痛い目にあうことになる。
 試験勉強を再開したのは、試験の1か月前だった。通信講座のテキストと 「一般気象学」、それに過去問を中心におさらい。その頃は、もう夏休みに入っていたので 比較的時間はあった。前回に比べれば,いい状態で試験にのぞめた。 今回の会場は、東北大学経済学部。家から歩いて4、5分の、まさにホ−ムグランドだ。 それに加え、試験は午後からなので、朝に弱い自分にとっては好条件。 しかし・・・・。結果はまたもや不合格。手応えもまあまああったし、自己採点 してみてもそれなりに取れてたようだから今回は合格かも、って思ってただけに ショックはでかかった。あと1回失敗したら、「一般知識」、「専門知識」の試験免除が きれてしまう。かなりあせった。

平成11年10月〜平成12年3月
 とはいえ、時間とともにその「あせり」は消えていった。 いいのか悪いのか、あとちょっとで合格できたんだ、と前向きに考えられる ようになったからだ。そろそろ台風の問題がでるかも?っていう、自分の 勝手な臆測から、台風について集中的に勉強を進めた。
 そして、3回目の試験、平成12年1月30日。 「実技1」の方は簡単で、20分あまり時間を残し終了。 さぁ、台風か?と変に意気込んでのぞんだ「実技2」。 めくってみれば、台風の問題ではなく、低気圧の問題だった。 ちょっと肩すかしを食らったが、気を取り直して問題を解いていった。 やけに記述量が多く、あまりうまくまとめて書くことはできなかったが、 でも満足のいく出来だった。
 待ち望んだ、3月10日の合格発表。買ったばかりのノ−トパソコンを ネットにつなぎ、気象業務支援センタ−のペ−ジへ。 期待と不安の混じりあうなか自分の名前を探すと、あった!合格だ!! 思わず泣きそうになった。それだけ苦労したのだから。
 でも、ここで喜んで ばかりはいられない。なにせ、気象に関する技術というのは日々進歩している のである。だから、資格を取っておしまいではなく、取った後も気象予報士 として勉強し続けなければならないのだ。そう思う今日このごろである。


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