このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

21世紀へ向けての東北の高校野球はどうあるべきか?
〜光星学院、全国ベスト4を参考に〜


第82回全国高等学校野球選手権大会が智弁和歌山の優勝で幕を閉じた。 「超高校級」といわれるその打線は、驚異的なものであった。 マシン打撃では球速を常に140キロ以上に設定し、また、年間を通して 竹バットを使用してきたという。 智弁和歌山がこの大会で残した様々な記録(最高打率.413、最多安打100、 最多本塁打11、最多塁打157)はそう簡単に破られることはないだろう。

さて、その智弁和歌山と準決勝で対戦し、惜しくも敗れてしまったのが 青森代表・光星学院だ。青森勢として、昨年の青森山田に続き2年連続のベスト8入り。 光星学院は、青森山田が昨年の準々決勝で敗れた鹿児島代表・樟南に雪辱を果たし、 見事ベスト4進出を果たしたのである。 この光星学院を率いるのは、大阪出身の金沢成奉監督。彼は大会中、こう語ったそうである。「20世紀最後の大会で、青森県はもちろん、東北地区の高校野球に再び光が当たるよう、 勝ち進みたい。」

私が高校野球を見るようになってからおよそ12,3年になる。 そのなかで一度、東北の高校野球にスポットが当たった時期があった。 仙台育英が大越投手(現・ダイエー)を擁して準優勝を果たし、 秋田経法大付属が1年生・中川投手の活躍でベスト4入りした平成元年である。 この活躍で東北地区の高校野球は、大きく変わるものと思われた。 深紅の大優勝旗が白河の関を越えるのもそう遠くはないと。 しかし、事態はそう急展開はしなかった。 甲子園での優勝はおろか、ベスト4入りさえもなくなってしまったのである。 このことを金沢監督は「再び光が当たるよう」という言葉を用いて表現しているのでは ないか。

さて前にも触れたが、金沢監督は大阪出身だ。太成高校を卒業し、東北福祉大学に入学。 大学1年時に右肩を手術し現役を引退、その後学生コーチを務め、91年に同大のコーチ となり、95年から光星学院の監督となった。 好投手・洗平(現・東北福祉大)などを擁しながらも甲子園まであと1歩というところで 涙をのんでいた時期が続く。しかし、その間に東北地区の強豪という地位を着実に築きあげていった。 その努力が実を結び、甲子園ベスト4という好成績を収めたわけである。

ここでひどいことを言うようだが、一部を除く東北地区の高校野球のチームは 甲子園に出ることが最大の目標であって、甲子園での試合は「おまけ」みたいな考え方を しているのではにだろうか(私の偏った見解かもしれません、ご了承ください)。 「目標は全国ベスト8です」みたいなことを言う監督、キャプテンがいるが、 果たしてそれは本心なのだろうか。 甲子園での戦い振りを見る限り、私はそう疑問に思えて仕方がないのである。 その点、準々決勝を勝ち上がっても「お前ら本当に力を出し切ったか?ここで満足なのか?」とゲキを飛ばした金沢監督の 意識は相当高いものだったのであろう。そういう監督のもとに選手がいたからこそ、 全国ベスト4という立派な成績が収められたのではないかと思う。 関西出身ながら東北の高校野球発展のために努力される姿には頭が下がる想いだ。 金沢監督は勝つたびに青森県はもちろん、東北全体の高校野球について話をしていたが、「東北福祉大時代、中央の大学から汚いヤジや田舎のチームだとバカにされ、それが悔しくて。 東北の高校をバカにされない戦いをしたかった」というのがきっかけだそうだ。

東北地区の高校野球で劣っているものをズバリ言えば、それは精神的な面、 特に「意識」ではないだろうか。 それは見る側にとっても言える。組み合わせが決まって、 「相手は○○高校だ、勝てるわけない」と思ってはいけない。 そして、実際に試合に負けて「やっぱりなぁ・・・・」ではいけないのである。 技術的な面では、全国とそう差はない。 東北勢の低迷を精神的な面に簡単に結びつけるのは安直だ、との反論もあるかと思うが、 私はそこがいちばんの問題だと考える。 21世紀の高校野球は東北地区が主役になってほしい、この私の想いはみなさんに 届いただろうか?

(2000.8.29)


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