2000.6.1 スポーツ文化論演習Ⅰ高校野球における丸刈りについて 1.はじめに
みなさんは高校野球を見ていて、「なぜ選手はみんな坊主頭なのだろう?」と疑問をもったことはない だろうか?それとも、坊主頭が当たり前すぎてそんなことは思ってもみなかっただろうか?「長髪の選 手はキタナイ、見苦しい」とか「長髪のチームは弱そうに見える」などという声が多く聞かれるのは、 高校野球の選手は坊主頭が当たり前という前提のもとにたった表現であろう。なぜなら、サッカーを見 れば分かるように、長髪にしろ短髪にしろ髪の長さに関係なく選手は活躍しているのである。これから 、丸刈りの歴史や高校野球と頭髪の関係を中心に話を進めていきたい。 2.頭髪への規制—「丸刈り頭」の発生史
丸刈り頭の発生について、「日本の教育課題 第2巻」の中に次のような記述があったので引用す る。
『「丸刈り」は、近代になって発生した男性髪型であるといってよい。近世以前の社会において、 剃髪は俗世間からの出家を果たした僧籍者固有の髪型であり、短髪も一般には、髪の生え揃わぬ幼児 の髪型や犯罪者もしくは非人身分に求められた髪型であった。・・・・・・・・・・日清戦争を契機 として、長期間の作戦従事中、軍帽をかぶり続けなければならない陸軍軍人の間に、頭髪全体を短く 刈り込むことが流行し、それは後に衛生、特に頭髪の将来にわたる保持に有益だとする「科学的」説 明によって支持されてきていた。ヘルメットや帽子の常用により髪がいたむとの説には、今日全く根 拠のないことが明らかになっているが、明治中期以降それは社会的に広められ定着させられていった。 制服はともかくとして制帽(学帽)が全国各地の小学校男児、中学校生徒の間に普及されるとともに、 軍隊仕込みの「丸刈り頭」が新しい男性髪形として学校から推奨され、果ては強制されるという事態 が生まれた。そればかりでなく、学校での集団性気質の形成の徹底を期して、軍隊的規律・訓練が意 図的、組織的に師範学校・中学校・小学校等に導入されていった。』 3.なぜ高校野球は丸刈りか?
どのように「丸刈り頭」が発生したのか見たが、今度は、なぜ高校野球に丸刈りが持ち込まれ、今 になっても主流となっているのか考えてみたい。
<余計なことに神経を使ってはいけない!>
髪型にいろいろ気を使うと、野球に集中できなくなってしまう
<汗をかいた場合に、髪の毛が短いほうが楽だし清潔感もある>
床屋に行かなくてもバリカンを使って自分たちで刈れる、簡単に頭を洗える。
<帽子をかぶる数少ないスポーツ>
帽子の着用により、髪が傷んでしまうという説。
髪を伸ばすと帽子、ヘルメットが脱げやすくなってしまう。
<団結力、チームワークを強化するため>
全員、同じ格好をすることによって意識を高める。
ex. 高校女子バレーの名門・古川商業の「おかっぱ頭」
<坊主頭にして気合を入れる>
気持ちを入れ替える手段として。
<昔からの伝統、高校野球は坊主頭という先入観>
先輩やOBの人たちの目や先入観が、無言の圧力となっている。
<精神の鍛錬>
野球というスポーツを楽しむのではなく、厳しい練習に耐えて精神を鍛える。
<野球を教育の一環として採り入れようとするあり方>
坊主頭というのは、野球を教育の一環として採り入れるためのひとつの手段なのでは?
ex. 試合前、試合後にホームプレートを挟んで整列させ挨拶させる、
選手の審判に対する抗議を認めない、開会式における軍隊式の分列行進 4.おわりに
『頭髪は、衣服と違って身体の不可欠な一部分であるから、これへの外的な規制は衣服 へのそれとは異質な深刻さをはらんでいる。とりわけ地域や学校によって、今なお認めら れる頭髪の規制は、身体への他律的干渉として人権侵害の相当することの有り得る重大事 といわれなければならない』という見解もあるように、自らの意思によらない丸刈りとい うのは問題がある。それを解決するには、まず「高校野球は坊主頭じゃなきゃいけない」 という先入観を変えていったり、指導者のこの問題への意識改革が必要になると思う。
この丸刈りの問題に限らず、選手の体調管理を考えない連戦の続く日程や、過剰に高校 球児を「さわやか」とか「純粋」という言葉で飾ろうとするマスコミ、有望な中学生に対 する熱心な勧誘など高校野球は様々な問題をかかえている。高校野球を見るのは個人的に 好きだが、こういう問題も存在するという意識を持つことも大切かと思う。 <参考文献>
佐藤秀夫 『日本の教育課題 第2巻 服装・頭髪と学校』 東京法令出版、1996
『好奇心ブック43号 熱中!甲子園』 双葉社、1999
玉木正之 『スポーツとは何か』 講談社現代新書、1999
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