このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


夕暮れの明石海峡



淡路島に到着し、あの地震の悲惨さを永遠に忘れないでいこうとする博物館を
訪れ、館長の父方の祖父の墓参りに10年以上ぶりに訪れた館長と愉快な仲間達。
10年も経つとここまで変わってしまうのか?と思う一瞬があったり、ここの人たちは
いつ来てもあの時と変わっていないと思い、安心した一幕もあった。
そんな楽しい時間もあっという間に過ぎて、帰途に付くことになった。
夏の夜はやってくるのが遅い。その分だけ、夕暮れの時間も長い。船は夕暮れ前の
姿から夜へ姿を変える海をゆっくりと滑り出す。朝の青々した海の姿は夕暮れの赤と夜の
両方の色を表し、更なる感動を館長に伝えてくる。厚い雲の合間からそっと夕暮れの太陽が
その光を差し出して、海の上を悠々と、そして忙しく行き来する船の一群に向かって
道しるべをしているようだった。人はいつの時代でも太陽の光と月の光と共に
人生を思索し、哲学を論じてきた。たとえ時代が変わっても、この姿は変わらないであろう。

この美しさをどうやって表現するのか?館長の悩みはそこにあると言ってもいい。
ただ撮るだけなら、誰にでも出来る。写真は誰にでも簡単に始められ、難しい理論も
いらない物を言わないその一瞬を永遠に残すことの出来る芸術であるからである。
だからこそ、ただ撮るのだけではなく何を伝えたいのか??
なぜ、館長が無名の民衆カメラマンという名前に誇りを持ち、これからも
その名前のままに写真を撮っていこうとするのかがこれらの写真の中にあるといってもいい。
今の忙しい世の中でどこかで忘れかけた風景・何気ない人情の交わりあい。
そのひとかけらでも誰かの心の中に届いて欲しい。この二度と訪れることのない
一瞬の風景、この感動。館長は写真というのは不思議な魅力を持った名も無き民衆の
芸術であると信じて疑わない。そして、いつまでもこの風景がいつまでもあり続けて欲しい
思いを込めてあの夏の一瞬を忘れない。


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