このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
はざのための”くい小屋”がどこのうちにもあった。または、離れた田んぼにあった。
このくいは、檜や杉の間伐や枝打ちをしたものを根気に集めて来たものだった。
昭和50年にライスセンターが出来る前までは、刈った稲は稲架(はざ)に架けていた。
その後もしばらくは、餅米だけはざかけをしていた。または、来年の種籾だけははざかけをしていた。
餅米も作らなくなり、苗も農協から買うようになって、とうとう使われなくなった。
今となっては、キュウリか豆の支え棒にしか使うあてもない。
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