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碑文
可知貫一翁は明治十八年一月に阿木村飯沼父与一母あさの長男に生 れ岐中六高を経て東大に学び農業土木を専攻 農学博士号を授与 さる又農商務省技師として小椋池八郎潟等の干拓を主宰幾多国家的 事業指導其他近郷の貯水開拓にも尽瘁さるまた東大京大に教鞭をとり 後進を育成され汎太平洋会議を日本代表として出席されるなど多大 の業蹟を遺され功により正三位勲三等に叙せられた 昭和三十一年四月九日自宅にて七十一才の天寿を全うされた先生 は 謹厳私心なく接する人をして思はず襟を正さしむる 人 格きてあった郷党は先生の遺徳を偲び茲に碑を立て後世につたへるの である
昭和四十五年三月五月吉日
発起人 中津川市阿木地区老人倶楽部
連合會代表
吉村
西尾
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